こんにちは★
歴史探偵気どり(笑)のよよちち🐨です🌟
大河ドラマが始まると、その主人公に関わる新しい史料が出てくることが多いんですよね。
山本勘助が主役の「風林火山」をやった時にも、新しい史料が出てきて、本当は実在していなかったのではないかと言われていましたが、実在したことが判明されました。
「本能寺の変」に関してもいろいろ史料が見つかったので、それを見ながらよよちちなりにまとめてみました。
ということで、今回は、本能寺の変の背景が明らかになってきた!よよちちの推理! のお話🌟
目 次
「本能寺の変」に関連する記録が「石谷家文書」に残っていた
■石谷家文書(いしがいけもんじょ)とは
岡山県の「林原美術館」に保管されています。
この文書には、代々足利将軍の家来であった石谷家の、石谷光政(いしがいみつまさ)・息子の頼辰(よりたつ)の親子二代の由緒、権利、婚姻関係などが記載してあります。
そして、四国平定を目指していた長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)に関する事が書かれている文書であります。
そして・・この石谷家文書から
新たに!「本能寺の変前後の出来事」が発見されたのであります!!
なぜ「本能寺の変」が起きたのかその背景が見えてきた
■本能寺の変前後の手紙を4つ紹介
長宗我部元親による四国平定の構想や、「本能寺の変」の前後の、関白・近衛前久(このえさきひさ)、毛利元就(もうりもとなり:中国地方の大名)の動向がわかる資料を紹介します!
1.元親による四国平定は、織田信長の了承を得ていた。
元親の家臣・中島重房(なかじましげふさ)が、元親を代行して、明智光秀の家臣・斎藤利三(さいとうとしみつ)と石谷頼辰宛に出した手紙。
「元親による四国平定は、信長の了承を得ている」という内容。
🐨信長は、四国は長宗我部元親にお任せするよ!と元親に約束していたということが分かる史料ですね。
2.長宗我部元親の感謝の気持ちと戦況報告。
・元親が天正6年に、信長からもらった手紙に対しての感謝の気持ち。
・重房(元親家臣)が阿波勝瑞城と徳島県藍住町を手に入れれば、淡路と讃岐の戦いは決着するだろうという戦の見通し。
🐨信長と元親は良好な関係だったことが分かります。
3.関白近衛前久が、元親と信長の仲をとり持っていた。
近衛前久とは、天正9年頃、元親のことを良く思っていない人物がいたので、信長と元親の仲を取り持った人物。
前久が天正11年2月20日に石谷家(頼辰&光政)に出した手紙。
・「本能寺で信長が自害した」。
・前久が元親を「元親律儀人(極めて義理堅い人)にて」と評価。
🐨この文書では、前久が元親をなんとかしようとしていることが分かります。
4.敵対する長宗我部元親と毛利元就の駆け引き。
天正11年5月22日に元就の家臣・小早川隆景が頼辰宛に出した手紙。
・元親と元就が、互いの出方を見ながら駆け引きをしていた。
・敵対していた元親と元就だったが、表向きは「互いに安定を望んでいた」。
・豊臣秀吉が柴田勝家軍を破った。元就は秀吉を選び、元親は反・秀吉派を貫いた。
🐨この文書では、元親は反・秀吉派だったことが分かります。
黒背景が見えてくる!
■信長の心変わりに翻弄される人たち
1.名刀の誘惑に心変わりしちゃった信長
信長は上記の1.で書いているように、四国は、長宗我部元親にお任せするよ!という約束をしていました。
しかし、信長が三好家(四国の大名で長宗我部の敵)を討ち取った時、その死体が持っていた名刀・光忠を見て信長大興奮!
三好家は室町幕府の家来でした。
この名刀・光忠は幕府から貰った財宝なのですね。
🐨信長は光忠コレクターでした。この刀を見てから三好家ってすごいんだけど!みたいな感じで誘惑に溺れたのであります。。。
そして信長と光秀の間でこんなやり取りがありました。
信長:「元親に四国平定を任せるって約束しちゃったけど、やっぱりやめた。四国は三好家にする!」と急に心変わり。。。
光秀:「元親は四国平定のために頑張っているし、関白近衛前久や斎藤利三も協力して調整したのですよ!今更何言ってんすか!」と切れ気味に反論。
信長:光秀の頭を掴んで3回も足蹴りッ!
「元親と利三が親戚だから肩入れしたのか!俺様より親戚を選ぶのだな、俺様は三好一族と手を組むと決めたのだ!天正10年6月2日になったら元親を攻めるから覚悟しておけ!!」
光秀:頭真っ白 愕然としながら退出。。。
歴史研究家磯田先生は、「名刀光忠がきっかけになり、2人の固い絆にほころびができたのではないか」と推測。
🐨光秀はこの、信長の急な裏切りに呆然としつつ怒りも覚えたのではないか。そして、こんな人が天下統一したら世の中が大変なことになるのでは、という危機感も抱いたのではないか。。。
本能寺の変が起きたのは、6月2日。四国攻め決行日なのであります!
2.天正10年5月、光秀が元親宛に出した手紙でのやりとり
長宗我部元親は、もちろん納得がいきません。信長と約束も取り付けて四国平定にいろいろ頑張っていたのに、急に三好家に領地を譲れと言われたわけですから。
光秀:「信長の言う事聞かないと、攻めてきちゃうよ!ここは従っておきましょう。。」
光秀は元親をなだめます。
信長の力は強大すぎますから、長宗我部は、信長に従うことにします。
元親:「何事もなにごとも頼みます!なんとか長宗我部家が守られるようになんとかして下さい。なんでもしますからー」
こんなようなやり取りも残されています。
🐨光秀はなんとか間をとり持って、事なきを得ようとしていた努力がうかがえますね。
■信長に邪(よこしま)な入れ知恵をする人物の存在
天正11年2月20日に近衛前久が石谷家(光政&頼辰)宛に出した手紙が残っていました。
そこには、佞人による讒訴(ねいじんによるざんそ)があって悩まされていると書かれています。何度も「佞人」という言葉が出てきます。
※佞人とは、口先巧みにへつらう、心のよこしまな人。
※讒訴とは、他人をおとしいれようとして、事実を曲げて言いつけること。陰で人の悪口を言うこと。陰口。
どういうことかというと、
信長に、「明智光秀と近衛前久と長宗我部元親は、貴方様(信長様)を陥れようとしていますよ!よからぬことを企んでいますよ!」などと、入知恵や悪口を言いまわっている公家の人物(佞人)がいたんです。。。というようなことが書かれていたのですね。
🐨こういう人今でもいるよね。三好家サイドの人物が悪口を吹き込んで信長を使って元親を陥れようとしたことが分かりますね。
これも、信長が三好家に急に肩入れし始めた原因の1つかもしれないです。
本能寺の変は幕府再興が目的だった!
■「本能寺の変」は将軍義昭の指示?
本能寺の変の2日後、天正10年6月12日に光秀が雑賀衆のリーダー土橋重治(つちばし しげはる)宛に出した密書。
【現代風・簡易訳】
あなたの言う通り、初めて手紙を出します。
あなたから、「将軍義昭様の味方をしてくれる」という手紙をもらったので嬉しいです。
私が、将軍が京都に入る事を承諾したので、あなたは、その事を前提に尽力することがとても重要だよ。
それと、雑賀衆(さいかしゅう)が、俺たちに味方してくれる事になって嬉しいです。とても大事な局面なので、密に情報共有して作戦を立てようね。
あと、高野衆、根來衆(ねごろしゅう)、雑賀衆と綿密に作戦を立ててくれ。和泉・河内方面まで出陣してくれるとベストかな。
それと、手柄を立てた時の褒美や表彰については、利三と皆で(高野衆、根來衆、雑賀衆)話し合って決めてくれ。これからも仲の良い関係が続くように良く相談するのだよ。
これまで私の願いのままに、近江・美濃の隅々まで平和にしてきた実績がある。だから皆は心配することは無いよ。詳しいことは、使いの者がそっちに行ったら説明するから。
繰り返しになるけど、将軍様が京都に入るから、その援助や準備がとても重要です。詳しいことは将軍様から指示があるそうなので俺は何も言いません【ここまで】。
こんなことが推測できます↓
1.光秀・重治は将軍義昭の指示で行動している。
2.重治と光秀は面識が無い。
3.重治が光秀の味方になり、援軍も出そうとしている。
4.義昭は広島県鞆の浦(とものうら)にいた(京都から約230㎞)。
※雑賀衆・・和歌山県を拠点とする鉄砲隊と侍の傭兵部隊。本願寺を守っていた。反織田信長・反豊臣秀吉。
※高野衆・・和歌山県にある高野山(真言宗本山)を守っていた僧兵集団。
※根来衆・・和歌山県にある根来寺を守っていた僧兵集団。
🐨将軍サイドがすでにいろいろ根回ししていることが分かります!
これが核心なのではないか??
■将軍義昭が復活する準備を指示していた
天正10年6月13日将軍義昭が乃美宗勝(のみむねかつ)宛に出した手紙には
将軍義昭は、元就と元親が連携することを前提に、アプローチしていた。
※宗勝は、毛利元就の部下の部下。
🐨画像入手できず。。。
【手紙の内容 現代風・簡易訳】
織田信長を殺したら、急ぎ京都に戻って就任記念式典を行う。
準備しておく様にと、毛利輝元(元就の息子)と隆景にも命令しておいた。
信長を殺す日、そして就任式典の準備が重要だ。
というようなことが書かれていた。
🐨!!これって・・・!!答えを言ってるじゃん!!
信長を殺して、就任記念式典を行うって将軍が言っちゃってるじゃん!!
専門家の意見は?
磯田准教授は「本能寺の変」にまつわる様々な説はあくまでも黒背景。
本当の動機と真意はいまだ不明。
藤田教授は「本能寺の変」は幕府再興を目的に実行された説を裏付けるものではないか。
・・・とまだまだはっきりとしたことはいわないんですよね。。。
うーーん🐨迷宮入りなのかなー。
タイムスリップして光秀に聞いてみたいものですね~
おわりに
光秀は、かつて将軍義昭に仕えていました。
そのあとに、織田家の重臣となったわけです。
信長と義昭は戦をしていますが、その後、光秀は何があって義昭の指示を仰ぐ様になったのか??
🐨そこの光秀の心理は何なのでしょう??うーーん関心が止まらんです!
感情任せに、下克上を狙っていた単なる光秀のクーデターなのか?
実は将軍と綿密に計画していたのに、二度と無い様なチャンスが目の前に訪れ、作戦を無視して突発的に起こしたのか?
はたまた将軍義昭が光秀を裏切ったのか??
あと、可能性を広げると、
信長と光秀2人が、いろいろなことが嫌になっちゃって(笑)逃亡するための陰謀で、遊んで暮らせるほどの貯蓄を持ってどっかに雲隠れして余生をのんびり生活していたりして。
2人で海外に逃亡・・などなど(笑)
ここまでいくとちょっと現実味がなくなっちゃうのですが、凄くシンプルな事なのかもしれないし、誰も思いつかない事なのかもしれない。
真実が明らかになるまで妄想は止まらないのであります🐨!!
⚔本能寺の変に関するお話↓🏯合わせて読んで推理してみてください✨