こんにちは★
歴女目指して勉強中のよよちち🐨です★
歴史の本を読んだり、いろいろ調べたりしている時が至福の時間です💛
全くの歴史音痴だったよよちちも少しずつ歴女に近づいていっています♪
いろんな人物や出来事を知っていくとホントおもしろいねーーー★
さて、日本史上最大のミステリーと言われている「本能寺の変」。
ミステリーと言われるといろいろ調べたくなっちゃうよよちち🐨が、いろいろ勉強したことをまとめてみました。
ということで、今回は 諸説がたくさんある本能寺の変の黒幕説をまとめてみた お話★
目 次
羽柴(豊臣)秀吉説
黒幕説で真っ先に名前が挙がるのが羽柴秀吉です。
なぜならば、結果的に「本能寺の変」の後に1番得をしたからです。
秀吉説には2つあるようです。
これがまた面白いんですよねー♪
■秀吉が光秀に暗殺するように指示した説
秀吉はお調子者で口がうまい。そして頭が良い!
類まれなる先見の目を持っている人物でしょう。
「こうすればこうなる」ということが分かる人物なので、光秀にうまいこと言って本能寺の変を起こさせて、口封じのために殺した。
変が起こると分かっていたから「中国大返し」ができた、というわけですね。
分かっていなかったら戦の最中に、1日で和睦を結んで、それを切り上げて、200キロの距離を軍を全員引き連れて13日ほど(※諸説あり)で帰ってくることなどできない。
もう、戻る準備をしていたから素早く戻ってくることができたのではないか、と言われています。
■光秀に濡れ衣を着せた説
実は、本能寺を襲ったのは羽柴秀吉だった説。
秀吉は実は中国地方には行っていなかった。(行っているふりをしていた)
そして本能寺の変を起こし、そばにいた光秀がやったことにでっち上げた。
信長の骨や遺体が見つかっていないのは、秀吉が持ち去ったから。
現在で考えると「え??そんな濡れ衣を着せることなんてできるの?」と思うかもしれません。
当時は、携帯電話があるわけではありません。TVもありませんから、「噂」がニュースのような物です。
「変の時、近くで軍行していた光秀が犯人じゃね?」みたいなことを意図的に噂を流せば、光秀の仕業だ!ってなるかもしれません。
現在だってフェイクニュースに踊らされているわけですからね。
そして、犯人は光秀だー!として秀吉が光秀に復讐する、という形を作って、秀吉が天下統一を果たすという。。。
ちょっとうまくいきすぎな感じはしますがね。。。
でも秀吉なら、やり遂げちゃうのかもしれないな、と思わせるのが秀吉説なのかもしれませんね★
足利昭義説
黒幕説の中では1番信憑性が高いかな、と思うのがこの足利昭義(朝廷)説。
もともと光秀は足利家に仕える幕臣でした。
15代将軍の足利昭義と光秀は、お互いに信頼しあっていました。
光秀は、だんだんと信長の家来へと移行していきますが、昭義との関係は切れていませんでした。
連絡を取り合っていました。
昭義は、信長に追放されてしまいます。
もう悔しくて仕方ない。
また、幕府に政権を戻したい!!と強く強く思っていました。
信長に恨みがあったのは確かです。動機はバッチリ!
そこで、光秀を使って、信長を殺させた、という説ですね。
二人がつながっていたと思われる証拠が、光秀は、「本能寺の変」の後に昭義に手紙を送っています。
「毛利氏と協力して秀吉を殺してくれ」という内容です。こわ!
どういう意図で書かれた手紙なのか。。。
自分が殺されると思ったから?
このままだと幕府ではなく、秀吉が天下統一しちゃうから殺してくれ、という意味なのか?
この手紙も「川角太閤記」に残っているだけで、実物は見つかっていないそうですが。。。
ですが、よよちち🐨的には、黒幕説の中ではこの説が1番ありえるのかなーと思いました。
徳川家康説
徳川家康も黒幕説には必ず名前が上がります。
それは、家康の行動の中に不自然な部分がちょこちょこあるところ。
それと、やはり信長が死んだあと、もともと武田家の領地であった甲州を手に入れて得をした、というところです。
よよちち🐨の勝手なイメージかもしれませんが、家康って「すっとぼけ」の天才だと思うんですよね。
これ、最強ですよね(笑)
本能寺の変を起こさせといて、自分はしっかり自分の領地に帰ってきています。
あの大混乱の中で。。。
というのは、本能寺の変が起こった時、家康は堺(大阪)見物をしていました。
そこから三河までの長距離を、少ない護衛でしっかりと帰ってきています。
その手助けをしたのが、あの服部半蔵と言われています。
でも、一緒にいた武田家の元家臣である穴山梅雪は野武士に殺されています。
そういうことが起こりうるあの時代に、家康が山を越えてちゃんと家に帰れているのも不自然ですよね。
すっとぼけて事前に安全に帰れるように準備してあってちゃっかりお家に帰った。。。。
確かに怪しいといえば怪しい。。。。
長宗我部元親説(四国説)
本能寺の変があって、自分の領地をとられなくて済んだ人物。
長宗我部元親とは、四国を収めていた人物です。
この時、信長は部下の丹波長秀に四国征伐を命じていて、長秀は四国に行く準備の真っ最中。
本能寺の変がなかったら、準備し終わった長秀に四国を攻められていたでしょう。
でも、本能寺の変で中断されて、危機を逃れることができました。
この人も、本能寺の変で得をした人物と言えますよね。
(結局は秀吉に支配されるのですが)
光秀の家臣に斎藤利三という人がいます。
この利三が、本能寺の変あたりに長宗我部元親が密に連絡を取り合っていたことが判明したのです。
手紙のやり取りをしていたことが分かってから、この長宗我部元親説というか、斎藤利三説の可能性が高まっていると言われているそうです。
でも、、、よく考えると、長宗我部元親というか、斎藤利三が
「光秀さん、長宗我部の四国を守ってあげてほしいです。信長を殺してくださいよ」と頼んだのか?ということになります。
でもそれで、信長に挙兵するなんていうとんでもないスケールの話になるかな。。。とよよちちは思います。
もちろん大名達は命を懸けて何がなんでも自分の領地を守りたいと思っているとは思うけど。。。ねぇ。
頭の良い光秀がこんな事するかな、とよよちちはちょっと腑に落ちないなーと思いました。
おわりに
今回はこの4人に絞りましたが、ほかにもいろいろな人の名前が挙がっています。
・毛利家
・黒田官兵衛
・信長の妹 などなど。。。
あとは、信長は生きていた説。
本能寺の地下に抜け道があったことが判明したことから、
その抜け道から逃げて生きていたのではないか?という説です。
なんか、ロマンがありますよねーーー💛
大河ドラマになると、資料が出てきたりしますから、新しい発見があるかもしれないですよね☆
うーーーー★ワクワク💛
🏰ほかにもいろいろな歴史に関する記事がありますので是非読んでみてください⚔