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803号室

歴史探偵 歴女への道

明智光秀の娘【細川ガラシャ】は男運が悪いのか??男に振り回された波乱万丈な人生

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こんにちは★

歴史探偵気どりのよよちちです🐨

 

最近、細川家のお屋敷に行ったり↓

大名細川家ゆかりの「永青文庫」博物館へ行ってきた!興奮&癒しが入り混じる場所

細川藤孝のお話も書きました↓

細川藤孝(幽斎)は薄情だけど芸術肌で文武両道な武将だった!とても薄情だけど。。。

今回は、名門細川家にお嫁に行った、明智光秀の娘、細川玉(ガラシャ)のお話。

大変な時代に巻き込まれて翻弄された、波乱万丈な人生と、あの本能寺の変を知っていたのではないか??というよよちち🐨の新説を混ぜ込んでお話したいと思います!

ということで、今回は、壮絶に散った細川玉(ガラシャ)のお話🌟

 

気高く聡明で才色兼備な武将妻

■細川玉(のちのガラシャ)

織田信長の家臣・明智光秀の三女として生まれました。

1578年16歳の時に、織田信長に命令されて、細川藤孝の長男・忠興(ただおき)と結婚。

↓わかりやすい相関図がありました↓

お人形さんの様な可愛いカップルでした。

容姿端麗で、和歌を詠み、達筆であったことから、一級の文化人藤孝からも大変気に入られていました。

 

■短気な夫の処世術

夫・忠興は文化人として芸能に長けていました。

しかし一方では、周囲が手を焼くほど短気で乱暴者だったのです。。。

ある日忠興の家臣が小さいミスをしたとき、怒って首を刎(は)ねました。

さらにその刀に付いた血を、玉の小袖で拭ったのです。

こわっ!!🐨

玉は夫に酷い事をされたにもかかわらず、何も言いわず立ち去ろうとします。

すると忠興は「何とも思わんのか蛇女」と言うと、

玉は「そんな簡単に人の首を刎ねるものではありません。鬼の嫁には、蛇がお似合いでしょう」と冷たく言い返し、

更に、血で染まった小袖を何日も着続けて精神的圧力をかけ、忠興に詫びさせたのです。

玉もこわっ!!🐨

残忍な行為に動じず、暴言にも屈せず、気丈な態度で静かに戒め、精神的に追込み詫びさせる。

見事に、短気な夫の処世術をやってのけたのです。

 

本能寺の変が起きた!

1582年(天正10年)。

玉が19歳の時。

次男・興秋を身籠っていた頃、父・光秀が謀反を起こし「本能寺の変」で主君である織田信長を討ち取ってしまったのですーー!!

🐨今風に言うと、突然お父さんが自分の会社の社長を殺害したということ!!

 

■父光秀の腹黒い心に恨み節

父光秀の謀反「本能寺の変」により、世に激震が走ります⚡

玉は、謀反人の娘ですから、普通なら自害か処刑されてもおかしくない状況。。。

(🐨戦国時代は家族も同罪にされることが普通でした)

夫の忠興と父の藤孝は、「細川家存続」か「玉の命」か、究極の選択を迫られます。

藤孝に「お前の好きなようにしなさい」と言われた忠興は、両方を選択します。

光秀に味方しない事で細川家を守り、一時的に玉と離婚し、味土野の山奥に玉を幽閉することで、命を守ったのです。

そして、細川家の二人(忠興と藤孝)は、そろって頭を丸めて出家することで、「誰の味方でもございません」というような意思を示しました。

🐨光秀はこの二人の態度にイラつきましたが、味方になってくれ、という書状を出しましたが、細川家は光秀に味方をすることはありませんでした。

古文書には、玉が、

「父光秀の腹黒い心のせいで私は忠興様に捨てられ、心細いありさまになってしまったわ」

というようなことが書かれたものが残っています。

(🐨玉にしてみれば、まったくその通り!!って感じだよね 笑)

 

■カトリックとの出会いにより鬱病から救われた

イエズス会は、宣教師、ルイスフロイスとオルガンティノを中心にキリスト教の布教活動が盛んで信者は15万人にも及んでいました。

ある日忠興が、武将の高山右近から聞いたカトリックの話をすると、玉はすっかり心奪われました。

そして、一緒に過ごす時間が増えた清原信忠の二女「清原いと」から、外界の話や、儒学、キリスト教などを教えてもらいます。

(🐨幽閉されていた玉にとって刺激的で興味深いお話だったんでしょうね)

「今苦しくても、精一杯がんばれば、一筋の光が見えてくる」というカトリックの教えを心の支えに過ごすと、玉の心は回復の兆しが見えてきました。

以前はつんとした気立ての高い女性だったのに、いつしか人当たりが柔らかくなり、明るく、優しくなっていきました。。。

玉は、信仰にのめり込み、受け入れ、洗礼を受けたいと願うようになり、一生懸命勉強し、のちにガラシャという名前をもらうことになるのです。

 

新説!?秀吉はガラシャを狙っていた!?

■夫忠興に再び守られた

本能寺の変から約4年後、秀吉は、玉の幽閉を解除してあげて、屋敷に戻る事ができました。

しかし秀吉による幽閉解除の真の目的は、女好きで有名だった秀吉は、美人だった玉を自分のものにしようと目論んでいたのでした。。。

ある日、秀吉の城へ呼び出されたのです。

忠興の言いつけで、万が一のために懐刀を忍ばせていました。

秀吉に挨拶をしたときに、偶然か、わざとか、懐刀が落ちた(落とした)のです。

これにより秀吉は「玉の覚悟(忠興の覚悟)」を見ることになり、手を出さず無事に忠興の元へ返したと伝わっています。。。

 

念願の洗礼を受けガラシャに改名

秀吉の手籠め未遂事件の翌年、忠興が出兵している間に、こっそりカトリック教の洗礼を受け、名前をガラシャへ改名しました。

それからは、病気は晴れ、表情は明るく、穏やかな性格になったそうです。

しかしタイミングが悪すぎました。

秀吉による「バテレン追放令」の真っただ中だったのです。

戦から戻った忠興は、玉が洗礼を受けた事を知ると、大激怒し小刀で洗礼放棄を迫ってきました。

ガラシャは「命にかえても信仰は捨てない」と覚悟を見せると、ガラシャが大好きな忠興は諦めました。

 

壮絶な最期

夫忠興は、石田三成へ不満を持ち暗殺計画まで目論んでいましたが、計画がばれて失敗し、いつ襲われてもおかしくない状況でした。

そんな中、忠興が再び出兵(上杉討伐)することになり、「万が一緊急事態が起きた時は、自害せよ」とガラシャと家臣達に命じたのです。

心配だったのでしょうか。それとも・・・。

三成は忠興が出兵する隙を狙ったかのように、ガラシャ達がいる屋敷を取り囲み、火を放ち「人質となって降伏しろ」と交渉してきました。

屋敷の者は逃亡しますが、残った家臣とガラシャは、忠興の命令に従う事を決断するのです。

ガラシャは「キリスト教では自殺が禁じられているから、私を殺せ」と家臣達に命じました。

家臣達は、「三成にガラシャの亡骸は渡さない」と屋敷に爆薬をしかけ、自らも自害し、屋敷は爆発。

ガラシャは38歳で壮絶に散ったのでした。。。

波乱万丈な人生だね🐨。。。

ガラシャ最後の言葉は、

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

訳:散るべき時を知っているからこそ、花は美しい、人も同様にありたいものです。

 

■夫忠興に愛されていた

①「本能寺の変」の後の幽閉、「秀吉に呼ばれた時の懐刀」と2度も命を守られました。

②忠興はガラシャの訃報を聞き、大声で号泣したそうです。

③妻の病気が快復するなら、カトリック信仰を尊重しました。

④葬儀は教会でミサを行いました。

 

おわりに

明智家と仲良しだった細川家に嫁ぎ、順風満帆に思われましたが。。。

まさかの父親の謀反。。。

そして、夫忠興は才能あふれる文化人でありながら、天下の短気者でとても残忍。。。

そんな夫と毎日一緒にいるわけですから、気丈にならざるをえなかったのかもしれないですね。

ガラシャは夫と父に振り回わされ、ストレスはピークに

そんなガラシャの心の病を救ったのはカトリックの教えだったのです。

自分の心を守る手段を見つけたガラシャは、反対されようが、禁止されようが、決して諦めない強い心を持ち洗礼を受けることに成功しました。

運命に翻弄されながらも、運命から逃げなかった儚い美女、細川ガラシャでした。

🐨ジェットコースターのような人生です。。。

他にも面白い戦国時代のお話があるので、よかったら読んでみてください✨

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