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803号室

歴女への道

石田三成の人間性が分かる厳選エピソード集★コミュ力0で不器用すぎて笑っちゃう!

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こんにちは★

よよちち🐨です。

 

石田三成と言えば、ワンマンでツンケンした性格悪い武将というイメージがあると思います。

でも、本当は、誰よりも優しく、忠誠心を持ったまっすぐすぎる人物なんだと思うのです🐨

三成に、もう少しコミュ力があれば。。。

伝え方がもう少し上手だったらなー。。。

 

ということで、今回は、石田三成の性格がよくわかる、笑っちゃうエピソードや、感動するエピソード、三成の頭の良さが分かるエピソードなどを紹介します★

頭の良さが分かるエピソード

■幼少期に秀吉に見いだされたお話

三成は幼少のころお寺のお手伝いさんとして働いていました。

そんな時、秀吉が現れます。

趣味の鷹狩りの最中に、のどが渇いたのでお茶を飲みに来たのです。

そこで、お手伝いさんの三成に

「のどが渇いたからお茶をください」と言います。

三成は、最初に大きな器にぬるいお茶を持ってきました。

次にやや小ぶりの器に、やや熱めのお茶を持ってきました。

その次に、小さな器に熱々のお茶を持ってきました。

 

これは、のどが渇いている秀吉に、いきなり熱いお茶を持って行ってもごくごく飲めないから、まずは、ぬるめでたっぷりのお茶を飲んで、のどの渇きを満たしてもらって、次にいきなり熱いお茶だとびっくりしちゃうから、やや熱めのお茶を飲んで慣れさせてから、最後に本来の美味しい温度の熱いお茶を飲んでもらった。

 

これに秀吉はカンドーーー!すごい子供だ!!と。

そのまま三成を連れ帰ったのでした★

これが三成を家臣にしたエピソードです。

 

三成は、ここから秀吉に仕えることになり、豊臣家に人生を捧げることになるのでした!

 

三成のやさしさに感動するエピソード

■大谷刑部との友情

嫌われていた三成ですが、お友達もいたんですよ。

一人目は、同じ豊臣家の家臣の大谷刑部。

大谷刑部とは、小さいころから豊臣家に仕えて一緒に切磋琢磨してきた同僚です。

年も近く、同じ志を持っていて気が合ったのでしょう。

大谷刑部は、当時は不治の病と言われていたハンセン病を患っていました。(※諸説ありますが)

ある日、秀吉主宰の「お茶会」が開かれました。

一口づつお茶を飲みまわしていくことになりました。

大谷刑部が飲んだ後、そのお茶がストップしてしまいます。

次に飲む人達が嫌がったんですね。

吉継の顔もこわばってしまいます。

不穏な空気が流れる中、三成がこう言いだします。

「喉が渇いて仕方がない!早く茶碗を回してくれんか?」

三成はストップしたその茶碗を取り、一気に飲み干しました。

「全部飲んでしまったから、もう一杯茶を注いでくれ」

はーーーー。なんと。。。(泣)

当時の難病患者の飲んだ物を飲み干すんですよ。

命がけと言っても過言ではないような行動です。

気の利いたセリフで、そのお茶会は滞りなく終えることができました。

 

こんな友達思いの三成です。

機転を利かせて茶会を滞りなく終わらせて、秀吉にも恥をかかせなかった。

 

 

似たもの同士の親友

■直江兼続

二人目は上杉景勝の家臣直江兼続です。

景勝の側近で主に内政を行っている、三成と同じようなポジションの人物です。

諸説ありますが、三成を助けるために、わざと、家康を怒らせるようなお手紙(直江状と言われるもの)を送り付けて、関ケ原の戦いの手助けをしたのではないか?と言われています。

それは、ちょっと信憑性に欠けるお話ではありますが、三成と親友だったことは間違いないようです。

この関ケ原の戦いのトリガーとなった「直江状」がなかなか面白いですよ✨

直江兼続の性格が、ちょっと三成と似ている所があるんですよね。

嫌味っぽいというか。。。(笑)

だから、気が合ったのかもー。

直江兼続のお話も良かったら読んでみてください↓🐨

家康に出したお手紙「直江状」が笑っちゃう!いろんな意味で面白い武将直江兼続の人生

 

 

不器用すぎて笑っちゃうエピソード

■細川忠興にますます嫌われる

🐨これ、よよちちが1番好きなエピソードです🐨

細川忠興と石田三成は犬猿の仲でした。

周りから見てもどうしてそこまで嫌い合っているの?というくらい仲が悪かったのです。

でも、このままじゃいけないと思った三成は、仲良くしようと忠興と一席設けます。

忠興もこれに承諾して会うことになりました。

当日になり、忠興は三成が来るのを待っていましたが、一向に来ない。。。

イライラする忠興でしたが、頑張って待ちました。

そこへ盆と柿を持った三成がやってきました。

普通は、ここで待たせていることを詫びますよね?

しかし、三成は、その手に持った柿を忠興に渡します。

「食べたいなら食べればー」と。

この柿は、忠興の大好物が柿だと知った三成が用意したものだったのです。。。

それで持ってきたのに、なんでそんな事言っちゃったのか。。。

忠興は、この態度と言い方にキレて帰ってしましました。。。

三成・・・ポカーン・・・

 

なんというか。。。本当のコミュ障ですよね。

どんだけめんどくさい性格だよって感じです(笑)

三成は、忠興が何故帰っちゃったか分からなかったらしいです。。。

🐨いつも悪気はないのよね。。。(笑)

ここまでくると憎めない人だなーって思うけれど、当時はとっても憎まれていましたー(笑)

 

 

■自分のお城はボロボロ

三成は、豊臣家の重要なポジションだったので、もちろんお給料はたくさんもらっていました。

しかし、三成は、

「秀吉様からいただいた財は秀吉様のもの。それを貯めておくという事は、盗んだのも同じ。よって、いただいた財はすべて使い切らなければならない」

という、ホント良く分からない持論を持っていました。(笑)

貯めておかずに使い切らないといけません。

じゃ、何に使うのか?というと、豊臣家のために使うのでした。。。

??🐨はいー??

て感じなんですけど、三成は、そういう男でございまして、自分が住んでいる「佐和山城」は、ボロボロだったらしい。。。

なんというか。。。(笑)もっと上手に生きられないものかねー。

変な人―――🐨(笑)

 

真面目過ぎて嫌われるタイプ

■豊臣家での三成

三成は、豊臣家の中では、内政を中心に働いていました。

今でいう官僚みたいなポジションで、頭脳を生かした仕事です。

秀吉の右腕のような存在で、超真面目に働く三成は、秀吉が最も信頼していた家臣の一人でした。

三成は、嫌味を言わせたら日本1と言われるようなキレる頭脳で豊臣家の内政に従事して活躍していきます。

でも、武闘派の家臣達からすると、戦場で命かけて戦っているのは自分たちなのに、なんで三成ばかりかわいがられて出世してくんだよ。。。という妬みも当然ありました。

そこで、三成が、上手に振舞えばよいのですが、ツンツンした態度で、嫌味ばかりを言ってしまう。

武闘派からは「すかしてんじゃねーよ!」

「三成は戦場で命を懸けて戦っているわけでもないのに、たくさん給料もらいやがって!」

とどんどん孤立してしまいます。。。

でも三成は、もらった給料で贅沢をするわけではなく、豊臣家のために使っていたというのに。。。

なんか、ホントへたくそ。。。(笑)

 

死ぬ間際まで三成らしく

■自分の上様は豊臣家だけ

関ケ原の戦いの後、三成は、徳川家によって捕らえられていました。

「敵だったとはいえ、立派な武将だった。ぼろの着物じゃかわいそうだから、新しい小袖を着せてあげて」と家康は、部下に命じて新しい小袖を届けさせました。

部下「これ、上様からです」

三成「は??上様ってだれ?あのタヌキ(家康)の事言ってるの?っていつから上様になったわけ?上様は豊臣家でしょ!」

と言って、断固受け取らなかったそうです。

ここまでやっちゃう三成って・・・超頑固!

三成にとっては、生涯ずーーーーっと主君は豊臣家だけだったのです。

 

■最期の最期まで体を気遣う

三成の罰は、「死罪」ということが決定されました。

ある日、三成は近くの警備員みたいな人に「のどが渇いたのでお水をおくれ」と言いました。

その時お水がなく干し柿がありました。

「お水はないけど、干し柿ならあるよ」といわれますが、

三成は「干し柿は体に悪いからいらない」と言って断りました。

もう死刑が決まっているこの状況でも、自分の体調を気にかけるんですね。

「これから首をはねられよう者が自らの体調を気遣ってどうする?」と警備員が言うと

「大志を持つものは、最期の時まで命を惜しむものだ」と言ったそうです。

三成は、最後の最期まで、再戦する機会をうかがっていたと言われています。

「大志」を持っていたんですね。なんか泣けちゃう。。。🐨

最期の1秒まで、豊臣家の家臣として、豊臣家の事を思いながら生涯を終えたのでした。

 

三成が失敗した忍城攻略(おまけ)

北条征伐の時に、1つだけなかなか落ちないお城「忍城(おしじょう)」がありました。

三成は、忍城攻略の指揮官になりました。

三成は、「石田堤」と言われる大きな堤防を作って水攻めを試みましたが、堤防が崩壊して失敗に終わりました。

その後、大ボスの北条氏が、降伏をしたので、忍城も降伏というような形にはなるのですが、北条家のお城の中で唯一落ちなかったのが、この三成が指揮官の忍城だったわけですね。

この失敗で、三成は「戦下手」というレッテルを貼られることになるのでした。

 

この戦が舞台となっている映画が「のぼうの城」という映画です★

すごくいい話なんですよ。🐨大好きな映画です。

忍城の城主(成田氏)を野村萬斎さんが演じたのですが、もう感動しました。

思い出すと、今でも涙がにじんできちゃう(笑)

滑稽な姿がかっこよくて泣かされるのですよ。

この城主は、領民からも家臣からもとっても愛されていました。

やはり、コミュニケーションを上手に取れる人は味方が多いのですね。

このお殿様は、農家に遊びに行って一緒に畑仕事をしたり一緒に踊ったりして、みんなに分け隔てなく接する人物でした。

三成が戦を仕掛けてきた時、農民、領民たちが全員で殿や、お城を守ろうと頑張りました!

そのみんなの姿が超感動するの。

やはり信頼関係って強大な力を生むのですね★

(あまり書くとネタバレになっちゃうのでこのくらいにし特🐨)

 

観てないない方は是非に💛

歴史分からなくても楽しめますよ★

 

小説も読みましたが、めちゃくちゃ面白かったです🌟

 

おわりに

今回は、三成の人間性が分かるエピソードを中心に書きました🎶

実際にかかわるとなるとだいーーぶめんどくさい性格だけど、はたから見ると憎めないでしょ。

 

三成は、自分を犠牲にして豊臣家だけのために生きた人物です。

こんなまっすぐに主君のために生きているのに、上手に伝えることができなかったり、真面目過ぎて融通が利かなくて、誤解されたり妬まれたりしてしまった。。。

三成は、心が汚れていたり、性格が悪いわけではないんです。

ほんともったいない人物ですよね。。。

 

もしも、三成が人気者で、みんなをまとめていく力があったのならば、秀頼(秀吉の息子)が殿になって三成が重臣として仕えて(こんなに尽くしてくれる家臣いないよね)、みんなで協力しながら豊臣政権を盛り上げていくことができたかもしれません。

徳川幕府ではなく豊臣幕府だったかもしれないよね。

 

よよちち🐨は思いました。

上に立つ人間って、いくら頭が良くても、コミュ障はダメってことね(笑)

 

でも、三成は、本物の武士ですよね!

最期まで筋を通した、間違いなくかっこいい武将です!

 

🐨ほかにも面白エピソードや、感動エピソードあるのでゆるゆると読んでみてください↓✨

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