こんにちは★
変わり者の戦国武将大好きなよよちち🐨です🌟
よよちちの中でかなりぶっ飛んでるな、と思う武将の一人「松永久秀」のエピソードを紹介します。
ぶっ飛んでるつながりで紹介したい武将はこちら↓森長可です⭐
↑このお方もかなりのぶっ飛び人間で面白いです!!
戦国武将はみんな個性的で面白いとおもいますがね✨
ということで、今回は、個性的な戦国武将の中でもひときわぶっ飛んでいる松永久秀のエピソード のお話★
麒麟がくるの久秀です↓
※文内では松永久秀(まつながひさひで)の名を、久秀で統一しています※
目 次
松永久秀と言えば【三大悪事】
■足利十三代将軍足利義輝を殺害
1565年、久秀は三好三人衆と協力して将軍義輝を殺害するという大事件を起こしています。
(でも。。。どうやらこの場に久秀はいなかったらしい。普段の行いなのか、久秀がやったことになっている感じがある 笑)
■東大寺の大仏を焼く
久秀は三好三人衆が陣を張っていた東大寺に奇襲をかけて、三好三人衆を撃破することに成功。
その時に東大寺の大仏殿が焼けちゃったのですが、実際誰のせいで焼けてしまったのかは不明とされています。
(東大寺に攻めこんだのが久秀だし、勝利したのも久秀だからなのか、なんか秀久がやったことになっている感じ。これもやっぱり久秀の普段の行いなのか?笑🐨)
■世話になった三好家を滅ぼす
自分を取り立ててくれて、ずーーーっとお世話になっていた三好家を、信長と一緒に京から追い出しました。
その後信長の元で働きますが、今度は信長を裏切って、三好家と仲間になり、信長に謀反!
しかし、信長は、三好家も倒しちゃうのです。困った久秀は、また信長のところへ行って謝って許してもらってまた信長の元で働くのです。
こんなことが許されるのか。。。??
ほんと、破天荒ですよね🐨笑!
久秀は日本初のクリスマス休みを取得した人物
この頃ローマ法王に忠誠するイエズス会という団体が日本に来て、その中の宣教師フランシスコザビエルがキリスト教文化を広めていました。
そこでクリスマスパーティーを開き、豪華な御馳走を振る舞っていました。
織田信長が足利義昭のお供として京都に来ました。
このころ、久秀軍VS三好軍は戦の真っ最中。
久秀がちょっと苦戦していました。
そんな時、久秀は三好家にこう言います!
「キリスト流行ってるからクリスマスの日は休戦しよう★」
これで、久秀は窮地を脱することができましたーーー笑
三好家も「いいよ」と答えたことも笑っちゃうよね。
皆で並んでキリストにお祈りしてたら面白い🐨
日本初の爆死した人物
久秀は、織田信長を2回も裏切ることになります。
※のちに詳しく書いています※
信長は、「平蜘蛛茶釜」(←超レアな名茶器ね)を譲ってくれたら
「2度目の裏切りも許してやるよ」と説得をしましたが、久秀は断固拒否。
「俺の首もこの平蜘蛛茶釜も、お前には絶対あげない!お前にあげるくらいなら、平蜘蛛茶釜(茶器)に火薬を詰めて、死んでやる!!」
と叫び、なんと城に火をつけて、茶器に火薬を詰めて一緒に爆死🔥したのでした!!
粉々だーーー🐨!
久秀の謎行動
何故信長を2度も裏切り、最後は茶器と一緒に爆死したのか
■1回目の裏切り→許される
織田信長が京都に進出し、ビビった三好三人衆と久秀は撤退。
久秀は強い方に味方しようと考えます。
ちょいちょい信長と連絡をとっていたこともあり、「九十九髪茄子(つくもかみなす)」という高名な茶器や、畿内を支配していた事を引き合いに出し、家臣として立候補。
見事信長の家臣となりました。
しかし、武田信玄や将軍足利義昭がこぞって織田信長をやっつけようとたくらんでいました。(信長包囲網と呼ばれてるやつです🐨)
世間の動きを察した久秀は早々に信長を裏切り三好家と手を組んで信長を討とうとします!
しかし武田信玄が死に、他の猛将達が次々と信長に殺されて、ついには三好家も滅亡しました。
あちゃー、久秀超不利な立場になってる。ピンチ!🐨
裏切りを後悔した久秀は、流行発信となった「多聞山城を信長様にあげるから許して」ともう一度家臣になりたいと言います。
あの自分に牙をむいた人に容赦ない信長が、なぜか許してあげて信長の家臣となるのです。
信長はなぜか久秀には甘いのです。
■2回目の裏切り→爆死
1回目の裏切りを許してもらった久秀は信長の元で働いていました。
すると、北陸の上杉謙信、中国地方の毛利輝元によって、周辺地域にまたもや信長包囲網がしかれました。
またもや信長劣勢と予測した久秀は、再び信長を裏切ります!!
(なんかこの強い方にすぐ行く感じがおもしろい笑🐨)
久秀は信貴山城にたてこもります。
信長の家臣、明智光秀、筒井順慶、細川藤孝の軍が信貴山城を包囲しました。
そして久秀に立てこもっている理由を聞くために使者を送りました。
「不満があるなら対応するから何でも言ってほしい」。
信長が譲歩しているにもかかわらず、秀久は無視!
使者を突き返しました。
ついに信長はキレた。
城を攻め、焼き払って、久秀の孫2人を自害に追い込み、
「俺を怒らせるとこんなこと平気でやっちゃうよ~」と久秀にアピール。
さらに事態は悪化。
久秀の家臣である森好久が裏切ったのです!
なんと信長の家来の筒井順慶のスパイだったのです!!
ひえーーー怖い🐨💦
久秀はいよいよ人生クライマックスを感じました。
身内から裏切りがでるとは・・・。
信長は最後の交渉をします。
久秀が「平蜘蛛茶釜」を持っている事をスパイから聞いていたので、
「平蜘蛛茶釜を譲ってくれたら、2度目の裏切りも許してやるよ」と説得を試みました。
(やっぱり信長久秀に優しいよね🐨)
しかし久秀は覚悟を決めました。
「孫が自害しようが、茶器に勝らず」
「俺の首もこの平蜘蛛茶釜も、お前には絶対あげない!お前にあげるくらいなら、平蜘蛛茶釜に火薬を詰めて、死んでやる」と叫び、自爆!🔥
なんとも派手な死に方!!さすが久秀!!
でも何がそんなに気に入らなかったのか。。。謎。。。
敵対同士で東大寺大仏焼失を謝罪
久秀VS三好三人衆の戦いのときに、東大寺大仏が焼失しました。
その後反省して、大仏殿の再興を支援した京都の阿弥陀寺に、焼失の謝罪と復興の感謝を表す手紙を送ったという史書が残っているそうです。
敵対しているのに一緒にわざわざ手紙を出すという。。。
なんかそういうところは律義なのね(笑)
🐨不思議な人だなーーー
織田信長は、徳川家康と松永久秀が会ったときに、
久秀のことを「こいつが東大寺を焼いた奴だ」と家康に紹介したそうです。
この信長の言い方に久秀はご立腹。
久秀はこの時顔を真っ赤にして黙り込んだとか。。。
心の中では「信長のあんにゃろーーー😠」と思ったのではないかな。
信長のこういうところが気に入らなかったのかなーー🐨
謎だ。。。
松永久秀の生涯のお話はこちら↓
おわりに
松永秀久は、三大悪事、そして織田信長を2度も裏切り、最後は爆死という破天荒な人生!!
一方で、茶器コレクターでもあり、流行の発信となった多聞山城の築城など芸術的なセンスも持ち合わせた人物でした。
なんかかっこいいよね🐨
嘘を見極め、強さを見極め、情勢を見極め、劣勢でも信念を貫く、天下取りという戦国ジャパンドリームを体現した人物でもありました。
ちなみに・・・
芸能事務所タイタンの社長太田光代(爆笑問題太田の奥様)が、松永久秀の末裔らしい!
このお方、だいぶ変わった方でおられるのは、血縁なのかもしれないね🐨
🐨よよちちが思うぶっとび武将↓セレクト♥ぜひぜひ読んでみてください!!
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