こんにちは🌟
よよちち🐨です✨
20位から11位はコチラをご覧ください✨ ⇒ 🏯こちら🏯
「2022年秋難攻不落・最強の城総選挙」というなんとも素敵なTV番組がございまして。。。
そのランキングを城主を入れながら、ポイントをまとめてみました🐨
旅行の参考にしていただけたら嬉しいです💜城めぐり最高ーーー✨
是非さいごまでご覧ください🐨
※放映日は、2022年9月30日、テレビ朝日19:00~21:00。
選別方法は、歴史専門家へ「城の強さ」を基準にアンケートを実施した結果を、最強の城ランキングにした番組です。
目 次
所 在 地:奈良県
アクセス:奈良県高市郡高取町高取
最強の理由:日本三大山城で最も高い、標高390mの高さと敵を絶望させる広大な敷地。
①外周30km、内周20kmの広大な敷地。城まで約2時間以上かかる。
②険しい道中、天守までは33の門や砦をクリアしなくてはならない。
③山の急坂は、くねくねした細道(七曲り)で、敵の進攻を阻み疲れさせる。
築城:越智邦澄。
城主:越智邦澄→筒井順慶→本田利久→植村家政。
建設目的:高取町一帯を拠点にしていた豪族越智氏。越智城と共に支城として築城しました。
画像:越智氏
画像:筒井順慶
所 在 地:静岡県
アクセス:静岡県掛川市上土方嶺向
建設目的:今川氏親が、遠江侵攻拠点として造らせた。
最強の理由:標高132m、断崖絶壁の山城。
①断崖絶壁の山肌と土塁や堀で守られており、攻め落とすのが困難。
➁天守を2つ配置し、敵の攻撃を分散できた。
築城:謂伊隼人直孝→土方次郎義政→今川了俊。
城主:今川氏親→山内玄蕃→福島佐渡守基正→福島上総介正成→小笠原右京進春儀→小笠原弾正忠氏清→小笠原与八郎長忠→武田勝頼。
画像:今川氏親
画像:武田勝頼
所 在 地:福島県
アクセス: 福島県会津若松市追手町1−1
最強の理由:8000発の砲弾に1か月も耐え抜いた強靭な城。
①石垣の裏側にV字の階段(武者走り)を造り、一度に多く兵が連続攻撃できた。
②天守、走り長屋、鉄門、南走長屋、干飯櫓(やぐら)をZ型に配置し、広範に囲放射攻撃ができた。
築城:葦名(あしな)直盛
城主:葦名直盛→伊達政宗→蒲生氏郷→加藤嘉明→保科正之。
城名:東黒川館→黒川城→鶴ヶ丘城→若松城。
建設目的:北条氏に敗れ本家の三浦氏が滅亡。三浦流佐原氏が相模三浦の再興を幕府に許され、兄弟や子孫が領地拡大のため東北に移住しました。
そして会津の豪族となり三浦義連が葦名と名乗りました。
その後7代目の直盛が拠点として築城したのが東黒川館です。
画像:葦名氏
画像:伊達政宗
画像:蒲生氏郷
画像:保科正之
所 在 地:愛知県
アクセス:愛知県名古屋市中区本丸1−1。
最強の理由:規格外の超長い櫓の壁。
①本丸を囲むように、多門櫓(長屋状)と巨大櫓があり攻守に優れていた。
②多門櫓が倉庫兼渡り廊下。移動や攻撃、武器、食料の保管ができ籠城に向いている。
③大天守に入口が無く、秘密の地下道を経由させる徹底した防御システム(小天守地下)。
築城:徳川家康。
城主:徳川義直→光友→綱誠→義通→五太郎→吉宗→宗春→宗勝→宗睦→斉朝→斉温。
建設目的:
①清須城は災害が多いので、尾張藩が徳川家康に新築を依頼した。
②その頃、徳川義直が尾張藩を継承し、居城が必要だった。
③豊臣家の包囲網が欲しかった。
④建築に豊臣の家臣を使って出費をさせ経済弱体化を狙った。
画像:徳川家康
画像:徳川義直
所 在 地:兵庫県
アクセス:兵庫県姫路市本町68番
最強の理由:こわい罠だらけの城。
①鉄砲や弓で攻撃するための「狭間」が3000箇所以上設置されている。
②分かれ道で迷わせ、急カーブで戻し、クランクで死角を作り、門で遮り、進攻を削ぐ。
③防御扉には、隠れて攻撃する武者隠しが設置されている。
※籠城による長期戦のため、トイレも設置されている。
築城:赤松則村
城主:赤松則村→山名持豊→黒田孝高→豊臣秀吉→木下家定→池田家→→松平家→榊原家→酒井家→国有
建設目的:赤松則村が護良親王の命令で挙兵し、京侵攻拠点として築城。
画像:赤松則村
所 在 地:長野県
アクセス:長野県上田市二の丸2-4- 6263イ。
最強の理由:上田合戦で、徳川軍を2回も撃退した他に類を見ない難攻不落の城。
①城下南側には、登城困難な高さ12mの断崖絶壁があり、絶壁の下には千曲川の深い分流があり天然堀になってました(尼ヶ淵)。
➁攻撃に特化した武者窓や矢狭間、鉄砲狭間を設けた、7基の櫓と2基の櫓門があり、
③本丸の東北西を、掘りと土塁で囲み敵の進攻を阻んでいる。
築城:真田昌幸
城主:真田昌幸→真田信之→仙石家→松平家
建設目的:武田軍の上田侵攻に伴い、真田幸隆が土豪小泉氏を撤退させたことで、上田市一帯を所領。
その後、息子の真田昌幸が拠点として築城した。
画像:真田幸隆
画像:武田書状
画像:真田昌幸
所 在 地:神奈川県
アクセス:神奈川県小田原市城内。
最強の理由:上杉軍10万の攻撃を、1ヶ月の籠城で敵を退却させた。
①城門の天井から攻撃できる「石落とし」
➁多数の狭間を持つ城壁。
③高さ15mの堀や土塁の「総構え」で城下町全体を囲んだ(全周約9km)。
④総構え内には畑や田んぼがあり自給自足ができるため、長期戦に耐えられた。
築城:大森氏
城主:大森氏→北条早雲→北条氏綱→北条氏康→北条氏政→北条氏直→大久保氏→阿部正次→稲葉氏→大久保氏
建設目的:室町時代に、西相模へ侵攻した大森氏が拠点として築城した。
画像:北条早雲
画像:小田原城敷地
所 在 地:大阪府
アクセス:大阪府大阪市中央区大阪城1-1
最強の理由:
①高さ約32mの巨大石垣は登城困難。
②本丸を囲む巨大な(総高14.7m)3層櫓が32箇所設置され、攻守に優れている。
③外周約2Kmの堀は、幅約75mあり、鉄砲や弓矢の射程距離を超えて造られている。
④城下町を囲む総構えがあり、現存の広さの約4倍のだった。
⑥総構えの堀は40m前後の幅、高さ6mと巨大だった。
築城:本願寺八世蓮如上人
城主:蓮如上人→織田信長→豊臣秀吉
建設目的:本願寺本山だったが織田信長による強制明け渡しに反発し、城郭化。
画像:石垣
画像:蓮如上人
画像:織田信長
画像:豊臣秀吉
※今は石垣のみ
所 在 地:東京都
アクセス:東京都千代田区千代田1-1
最強の理由:江戸城には日本一が多い。
①高さ約59mの巨大天守:現代の20階建てビルと同等の大きさ。
➁桝形小口:普通の城から比べると約5倍(テニスコート4面分)。約50前後も設置されていた。
③城の外周を囲む巨大外堀:現在の外堀通り、約16km。東京ドーム400個分に相当。
築城:太田道灌(どうかん)。
城主:太田氏→扇谷上杉氏→後北条氏→徳川氏(初代家康)→皇居(天皇家)。
建設目的:室町時代享徳の乱の最中、室町幕府より下総国(千葉県)千葉氏抑止の勅命を受けた扇谷上杉氏の家臣「太田道灌」が拠点にするため築きました。
画像:太田道灌
画像:徳川家康
🐨江戸城すごい楽しかったです↓↓
■1位 熊本城 過剰防衛で必要要素が詰め込まれた城
所 在 地:熊本県
アクセス:熊本県熊本市中央区本丸1-1
最強の理由:
①長塀:現存城の中で最も長い約242mの威圧感ある塀。
➁迷路のような桝形小口:2つの桝形小口を連立させ6つの角により攻撃がしやすい。
③高さ約25mの宇土櫓:武者返しと呼ばれる石垣は日本随一の高さで、登城攻撃困難。
④外周約5.3Kmと広大な敷地。
⑤大小天守閣、櫓49棟、櫓門18基、城門29基を配置した巨大要塞。
築城:出田秀信→鹿子木親員→加藤清正(大規模改修)→細川氏(拡張工事)。
城主:菊池武朝→菊池武運→出田氏→大友氏→鹿子木氏→豊臣秀吉→加藤清正→加藤氏2代→細川氏
建設目的:永和時代から国府の武家と争っていた菊池氏が、拠点として出田信秀に築城させ、菊池武朝の居城にして警護させた
(初代城名は千葉城)。
画像:加藤清正
🐨加藤清正は本当に大好きな武将です↓是非合わせてご覧ください↓
1位は熊本県にある熊本城でした。
時は明治時代、新政府軍と西郷隆盛による西南戦争が起こります。
谷干城率いる新政府軍3500名が熊本城に籠城。西郷軍12000名を迎え撃ち見事撤退させました。
一人も城内に入れなかったそうです。
西郷隆盛は「新政府軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」と言い残し撤退しました。
さらに、2016年熊本地震で被災しましたが、天守や櫓は無事でした。
戦国時代から一度も落ちたことがない城は、自然災害にも勝ったシンの最強城かもしれません。
現在復旧工事が行われています🐨
完成予定は2052年の見通しですので、美しい姿を現す時が楽しみですね✨
1位 熊本城 過剰防衛で要素が詰め込まれた城
2位 江戸城 日本一だらけ全部が規格外
3位 大阪城 兵士の心を折る巨大櫓がある城
4位 小田原城 街ごと全部囲い込んじゃった城
5位 上田城 知恵が遺憾なく発揮できる城
6位 姫路城 こわい罠がいっぱいの城
7位 名古屋城 周りを全部櫓にしちゃった城
8位 会津若松城 東北地方の守りの要
9位 高天神城 断崖絶壁だらけの山城
10位 高取城 敵を絶望させる険しい道のり