こんにちは★
歴女なよよちち🐨です★
武田家の終焉の地「甲斐大和」に歴史スポット巡りをしてきました!
勝頼の最後の戦い「天目山の戦い」のすさまじさが実感できました。
実感しすぎてちょっと怖くもなりました。。。
ということで、今回は、武田家終焉の地「甲斐大和」武田勝頼にまつわる歴史スポット巡り のお話★
目 次
武田家は織田家・徳川家・北条家に四方から一気に大軍で攻め込まれました(甲州征伐)。
もうボロボロだった武田家当主勝頼は、死を覚悟して、武田家ゆかりの天目山の栖雲寺を目指します。
しかし、山のふもとで、敵に追いつかれてしまいます。
その頃には勝頼一行は、4~50人ほどしかいなくて、もはや戦える状態ではありませんでした。
家臣たちは少ない人数で最後まで勝頼達のために命尽きるまで戦いました。
勝頼父子、北条夫人が自害。
お供の中には20人ほど、女性もいました。
女性達も足が血だらけになりながら歩いて天目山を目指しましたが、勝頼親子、北条夫人の自害を知り、川に飛び降りました。
武田家最後の戦い「天目山の戦い」はとてもとても壮絶な戦いでした。
それが分かる史跡がたくさん残されていました。
山梨県にある甲州市大和町です。マニアックですよね?
高速道路だと中央道の「勝沼」が近いかな。
電車だと中央線。特急などは止まらないので、東京からだと大月駅、長野方面からだと塩山駅で普通電車に乗り換えます。
秋になると、山が色づいてとてもきれいな紅葉を見ることができます。
というか、山ばっかりです(笑)
武田勝頼は、肌寒い3月に、この甲斐大和の山の上にある栖雲寺を目指したんですね。
🐨武田勝頼のことよく知らなーい、という方は先にこちら↓を読んでくださいね★
武田勝頼は厳しい人生を送った悲運な武将!武田家滅亡への道。。。
ここ景徳院は、勝頼を供養するために、徳川家康が、部下に命じて建てたと言われています。
(🐨家康、優しい所あるよね)
景徳院の脇に流れる川です。
この看板見てくださいーーー
こわーーーーい🐨💦
「天正十年 武田勝頼公滅亡のおり、土屋惣蔵は片手で追手を切りけおとし、川は血で三日間も紅く染まったといわれています」
と書いてあります。。。
この看板にある土屋惣蔵は、「片手千人斬り」の異名をもつ武将です。
勝頼公の自害の時間を稼ぐために、崖っぷちで片手で木の枝につかまり、片手で斬っていきました。
川にどんどん敵を落として、敵の追撃を遅らせ、勝頼の自害の時間稼ぎのために奮戦。
しかし、惣蔵も人間です。
力が尽きてきます。。。
振り返って勝頼のもとへ向かいます。(勝頼のそばで死にたかったんだろうな🐨うー泣ける。。)
敵の侵入を土屋惣蔵などの家来たちが食い止めてくれている間に、勝頼は、息子に、家督を継がせる儀式を行いました。
父親の代から伝わる大事な鎧(盾無の鎧と言われている)を息子の信勝に着せました。
信勝、北条夫人が自害。
そして最後に勝頼が自害しました。
勝頼を介錯したのが、片手千人斬りの土屋惣蔵でした。。。
その後に惣蔵も腹を十字に切って自害したそうです。
勝頼、信勝、北条夫人3人の自害した場所です。。。
なんか、胸が苦しくなりました。
これは、あとから建てられたそうです。
北条夫人の遺体を埋めたといわれています。
山道の途中にあります。
勝頼父子の首を洗ったと言われている川です。
分かっている事だし、大昔のことなのに、「勝頼。。。本当に死んじゃったんだなー」とよく分からない感情が生まれました(笑)
勝頼の奥さんである北条夫人のお付きの人たちも、ここで川に飛び降りてなくなりました。。。
武士たちだけでなく、女性達も必死に戦っていたんですね。。。
勝頼が最後に目指した場所「栖雲寺」です。
ここには、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちした時に、信玄が刀を受け止めた軍配が納められているお寺です。
景徳院からもっともっと登っていくとありますが、車でもけっこう時間かかりました。
勝頼は、この地を死に場所と決めて、向かっていたのです。
敵に追いつかれてしまって、たどり着くことができなかった。。。
( ノД`)ウゥゥ悲しい。。。🐨(涙)
🌟川中島の合戦が分かる記事↓
謎に包まれた山本勘助の生涯★武田信玄に救われた遅咲きの武将の人生がすごい!
上杉謙信の逸話と謎★川中島の戦いや女性だと言われる理由などわかりやすく解説★
「なんだこれミステリー」という番組で、教員免許も持っているあばれる君が取材してました。
🐨その番組観ました!!
川中島の戦いで謙信の刀を3回受けたといわれている軍配を見せてもらっていました。
ここには軍旗も収められています。
※甲州市のパンフレットより
最初にそばを細く切ったといわれています。
裏に天然の大きな石のお庭があってそこもすごく迫力ありました!!
写真だと全然伝わらないっ
武田信満は武田家13代目の当主です。
(ちなみに勝頼は20代目)
家臣たちに守られているようです。
1月の頭くらいに行ったのですが、寒かったーーー💦
雪⛄がところどころに残っていて、手がかじかんで、しもやけになるかと思ったくらい。
もし冬に行く場合、手袋必須!
そして、急な山道で、木の根っこがにょろにょろ出ていて歩きにくいので、スニーカーじゃないと危ないです。
昔の人は、これよりもっと足場の悪い中を、鎧着て何時間も歩いたんだなー。
勝頼って、ダメ武将と、言われています(よよちち🐨もそう思ったこともあります)。
でも、この地で実際に目にすると、なんか、胸が苦しくなって、
「勝頼、頑張ったんだなー」って思ってなんか、ちょっとじーーん🐨ウゥゥ泣ときました。。。
そして、生々しい表現で書かれている看板(説明書き)を読んでいると、なんか震えちゃったよ💦
やっぱり、実際にその場所へ行くとイメージが変わるな―。
ちょっと悲しくなってブルーな気分になっちゃうところもあったけれど、すごく良い時間をすごすことができました。
よよちち🐨は甲斐の国出身なので、より思い入れがあるのかもしれないけれど、「生害石」って、他にはあんまりないでしょ。
だから、実際に行って、少し山道登って、その石を実際見ると、すごい歴史に浸れますよ。
歴史好きにはとーーーってもオススメスポットです!!
甲斐の国を命を懸けて守ってくれていた武田家の終焉の地、是非、行ってみてくださいね!
ちなみに、超田舎だから車必須!!レンタカー必須!!
帰りに、天目のお蕎麦か、武田家の陣中飯のほうとうを食べて帰るといいですよ🎶おいしいよー🐨
🐨ほかにも歴史スポット巡りしています🐨
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