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歴女への道

伝説の鉄砲使い雑賀孫市とは何者だ??戦国時代の謎の最強軍団「雑賀衆」のリーダー

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こんにちは★

戦国時代が大好きなよよちち🐨です★

 

みんな、なんとなーーく聞いたことあるな、でも何者で何した人?って感じの「雑賀孫市」についてまとめました。

戦国時代に、織田信長が本願寺を攻めた「石山合戦」を少し深掘りして雑賀衆の活躍を交えながら「雑賀孫市」がどんな人物だったのかを書いていこうと思います★

 

ということで、今回は 伝説鉄砲使いで雑賀衆のリーダー雑賀孫市 のお話☆

雑賀衆とは?

まず、雑賀孫市という人物を知っていくには、「雑賀衆」を知らないといけません。

雑賀衆っていったい何??を超簡単に説明しておきます。

 

雑賀衆と言えば鉄砲!

紀伊半島の南西部(今の和歌山県あたり)にいた集団、この人々が「雑賀衆」と呼ばれる集団となります。

1543年、九州の「種子島」 に、1隻の船が漂着します。

(↑教科書に出てきましたよね)

このころの時代背景としては、まだ 織田信長 や 徳川家康 がまだ子供で、斎藤道三が美濃の国でブイブイいわせてた頃かな。

この漂流した船に乗っていたポルトガル人が、未知の新兵器 「鉄砲」 を持っていて、日本人が鉄砲と出会うことになるのですが、この時の鉄砲1丁のお値段、現在のお金だと2億円だそうです。。。(かなりぼったくられていたんだとは思うけど)

たかーーーーい💦

たくさんの鉄砲を買うことは無理ですね。

「根来衆」というまた違う集団がいてその中の職人の一人が鉄砲の試作に成功しました。

これで、鉄砲が出回ることになるのです。

が、しかし、材料が日本にはなかったので、材料集めに関しては外国を頼るしかありませんでした。

雑賀衆は海沿いにいたので、貿易がしやすかったのですね。

それで、雑賀衆は、鉄砲をたくさん所持することができて、最強の「鉄砲集団」をつくることができた、というわけです。

戦国時代と言えば、大名達の間や、宗教がらみで戦をしているイメージですよね。

その陰には、忍者集団や、こういう大名家 とも 寺社勢力 とも異なる特殊な集団がいたのですね。のちに「海賊」も出てきますよ☆

「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける」
戦国時代、実際に言われていたようです。

雑賀衆は、そのくらい強い集団でした。

この集団のボスが、「鈴木孫市(雑賀孫市)」というわけです🐨

鉄砲が使えるこの雑賀衆は、この時代の大名達に大人気だったので、いろいろな争いに巻き込まれていくことになります。

 

織田家VS本願寺(一向宗)

このころ大流行して大きな力を持っていた宗教団体が「一向宗」

織田信長は、この宗教団体を攻め入る準備を始めていきます。

一向宗の総本山は「本願寺」

この本願寺と織田家での戦争(石山合戦)が始まっていくのです。

 

さて、雑賀衆が何故この戦争に巻き込まれていくのか・・・??

それは、雑賀衆の中に、一向宗信者が多かった事、場所も近かったので、本願寺とは友好関係にあったのです。

そして本願寺はもちろん、大人気武装集団「雑賀衆」を味方にしたいですよね。

ということで、「雑賀孫市」が助っ人リーダーとなって戦っていくことになるのです。

先ほど出てきた「根来衆」。この集団と雑賀衆は仲良し。

しかし、根来衆は「一向宗」とライバル関係にある「真言宗」の信者が多かったので、一向宗を倒そうとする織田家側の味方となってしまうのです。

根来衆と仲良くしていた雑賀衆の一部は、根来衆の方に味方する人も出てくるわけです。

雑賀衆と言うのは、大名家とは違って、自由と言うか。。。

大名家は会社で社訓をもとに全員同じ方向を向いている大企業と言った感じ。

雑賀衆とか根来衆は、会社は同じですが、フリーランスの集まりと言うか、全員がまとまって同じ考えを持っているわけではないのですね。

ですから、こういうことがあると分裂しちゃうのです。。。

しかし、織田家側についた雑賀衆は、積極的に雑賀衆や本願寺を攻めることはしませんでした。

やっぱり少し気が引けたのかな?

逆に、本願寺の味方に付いた雑賀衆は、雑賀孫市を中心に伝説となるような戦いっぷりをするのであります!

「雑賀孫市」とは?

孫市は謎が多い人物です。

本名は「鈴木」と言われています。

「雑賀」というのは江戸に入ってからつけられたようですね。

では「鈴木家」とは?

これも良く分かっていないのですが、その地域で力を持っていた豪族のような感じかと思います。

孫市はその中の誰かだったのではないか、と言われています。

本名も出生も良くわかっていないので、いろいろな名前が合ったりするのですが、今回は1番有名かな、と思う「雑賀孫市」で統一させていただきます。

「石山合戦」(織田家VS本願寺)始まる

本願寺に味方することにした雑賀孫市。

孫市は軍師のように策を考えて、信長を苦しめます。

こお「石山合戦」はなんと。。。10年も続いたのです。

信長としてもやっかいな存在だったでしょうね。。。。

村上海賊

「村上海賊の娘」という大人気の小説がありますよね。

↑ちょっと長いけど読む価値あります!!すごく面白いですよ!!

歴史の事が分からなくても大丈夫です!ちゃんと説明してくれているので。

 

本題に戻すと。。。

信長は、本願寺を囲って兵糧攻めをします。

籠城している本願寺チームは食べ物に困ってきます。。。

そして、ここで登場するのが、「毛利家」

毛利元就ですね。(←3本の矢で有名な人)

毛利家は、海軍を持っていたのです。

それが「村上海賊」

この海賊たちは信長軍の海軍を撃破!!!

信長もびっくりの強さでした。

雑賀衆も船をたくさん所有していたので、お手伝いをしながら一緒に戦いました!

 

孫市が標的にされる!

織田信長は、もう長引く戦にイライラ!!

「孫市(雑賀衆)を先にやっちゃえば、話は早いんじゃね?」ということで、孫市は信長の標的にされてしまいます。

信長さん、本気です。

雑賀衆に近づき自分の味方になるように調略して、明智光秀やら、秀吉やらの主力メンバーで構成された10万の兵で攻め込みます。こわっ🐨!!

孫市達の兵の数は1万とも数千とも言われています。

この兵力差ですが、なんと孫市チームは好戦します!!

(やっぱ雑賀衆孫市さん強いのね🐨!!)

いろいろな仕掛けをしたり、お家芸の鉄砲を使って、織田軍をどんどん蹴散らしていくのです。

。。。が、やはり10万というのは、なかなかです。。。

ついに孫市は、降伏することにしました。

(しかし、この戦いほぼほぼ引き分けだったとか。。。両軍ボロボロだったらしく孫市の強さが分かりますね🐨)

 

本能寺の変のあと

降伏した孫市は、信長に仕えることにしました。

🐨あんなにバチバチやってたのにね。でも賢い選択なのかも。

そして少し平和に過ごしていたのですが、明智光秀のクーデター「本能寺の変」が起きて信長が死んでしまったーーー💦

孫一は、織田家に仕えていたので、そのまま流れなのか?少し行方をくらました後、秀吉に仕えることとなります。

■紀州討伐

今まで雑賀衆のトップだった孫市ですが、秀吉と一緒に昔の仲間たちへの攻撃をします。

過去を断捨離するのか?(笑)🐨

雑賀衆と根来衆を討伐して、事実上ここで雑賀衆、根来衆は終了。。。って感じかな。

 

■関ケ原の戦い

孫市は秀吉派だったので、西軍(豊臣側=三成軍)の味方になりました。

鳥居元就を討ち取るという活躍を見せましたが、西軍の負けとなりました。

(孫市は、謎な人物過ぎていろーーーんな説があります。関ケ原の戦い前に死んでる、とか。。。ん―。。。どれが本当か分からない。。。)

 

その後の孫市達は?

伊達家に拾われます。

そして、伊達政宗のコネで、水戸の徳川家に仕えることになりました。

(↑これが1番メジャーな説ですが、本当の事は分かっていないようです)

 

伝説の鉄砲使い「雑賀孫市」をまとめると

いち早く鉄砲部隊を持っていた雑賀衆のリーダー。

石山合戦で、本願寺側についた最強助っ人。信長に標的にされちゃってとんでもない軍で攻め込まれて降伏した。

織田家→豊臣家と仕えるが、関ケ原の戦いで敗戦。

伊達家→徳川家に仕えた。

 

おわりに

謎が多い人物なので、ちょっと分からない部分も多いのですが、超簡単に書くとこんな感じです。

教科書には載らない人物ですが、面白い人物ですよね。

こういう集団とか、忍者が大名を支えていたりするんですよね🐨

あんまりスポットライトは当たらない存在かもしれないけれど、おもしろい人物がたくさんいます✨

また紹介したいとおもいます🎵

 

🐨ほかにも面白い戦国時代の登場人物を分かりやすく簡単に書いていますので、良かったら読んでみてください↓

武田勝頼は厳しい人生を送った悲運な武将!武田家滅亡への道。。。

マムシと呼ばれる斎藤道三は非情だけどなんかかっこいい!最期は息子に殺される

 

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