こんにちは★
よよちち🐨です✨
よよちちは、戦国時代が大好きです。
あの下剋上が盛んな時代に、部下を従えて上に立つ人って、本当にすごい人物だと思うんです。並みの人間じゃないはず!
人間的にも優れていて、オリジナルな考え方を持っていたりするんだろうなーと思ってまとめてみました。
自分にとって、大変だなーとか、こういう時どうしたらいいのかなーとか思った時に、武将たちの言葉にヒントがあったりするんですよね。
よよちち🐨が尊敬している武田信玄の言葉は、とても勉強になって、考え方が変わった言葉もありました。
ということで、今回は、戦国武将達が残した名言集 のお話⚔
※気になる武将がいたらクリックすると簡単な生涯が分かるようになっています※
目 次
戦国時代の官位とは・・・
朝廷が認める、大名としての権威のこと。朝廷の資金が逼迫し、各大名から献金させた。大名はその見返りに、権威や戦の大義名分として利用していた。
※🐨マークは特にいい言葉だなーと思った武将です※
(官僚1位になり天下統一した武将)
官僚地位1位/28位
織田信長、豊臣秀吉に仕えていた
・愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することを言う者までもが発言をしなくなる。
・最も多くの人間を喜ばせたものが、最も大きく栄える。
・滅びる原因は、自らの内にある。
・大事を成し遂げようとするには、本筋以外のことはすべて荒立てず、なるべく穏便にすますようにせよ。
・怒りは敵と思え。
・及ばざるは 過ぎたるに 勝れり。
・大将たる者、味方の盆の窪ばかり見ていて、合戦で勝てるわけがない。
(官僚1位になり天下統一した武将)
官僚地位1位/28位・関白
織田信長に仕えていた。
・戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである。
・人はただ、さし出づるこそ、よかりけれ。戦のときも先駆けをして。
・主人は無理をいうなるものと知れ。
・負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし。
(天下統一まであと一歩だった武将)
官僚地位1位/28位
石川県、福井県、富山県、岐阜県、奈良県、三重県、京都府、大阪府、兵庫県
を守っていた総大将。
・組織に貢献してくれるのは「優秀な者」よりも「能力は並の上だが、忠実な者」の方だ。
・いつの時代も変わり者が世の中を変える。異端者を受け入れる器量が武将には必要である。
・仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ。
・臆病者の目には、全て敵が大軍に見える。
(石川県、富山県を守っていた武将)
官僚地位1位/28位
織田信長、秀信、豊臣秀吉、秀頼に仕えていた。
・人間は不遇になった時、はじめて友情のなんたるかを知るものだ。
・ともかく金を持てば、人も世の中もおそろしく思わぬものだ。逆に一文なしになれば、世の中もおそろしいものである。
・戦場に出でては、我が思うようにして、人の言うことを聞き入れぬが良し。
(中国地方の総大将)
官僚地位1位/28位
毛利興元、毛利幸松丸、尼子経久、大内義隆に仕え、後に総大将になった。
・言葉は心の使いである。言葉によって、その人が善か悪か、才能があるかないか、剛勇か臆病か、利口か愚かか、遅いか速いか、正直か正直でないか、そうしたことがすぐにわかるものだ。
・我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。酒を飲まなければ、七十、八十まで健康でいられて、目出度いことだ。
(山梨県を守っていた総大将・武将)
官僚地位4位/28位
・人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
・百人のうち九十九人に誉められるは、善き者にあらず。
・為せば成る 為さねば成らぬ成る業を 成らぬと捨つる人のはかなさ。
・老人には経験という宝物がある。
・渋柿を切って甘柿を継ぐのは小心者のすることだ。国持ち大名にあっては、渋柿は渋柿として役に立つものだ。
もっと詳しくはこちら→★武田信玄の名言★
(新潟県を守っていた総大将・武将)
官僚地位4位/28位
足利義輝、足利義昭に仕え、幕府の長官補佐だった。
・武士の子は、十四、五歳の頃までは、わがままであっても勇気を育て、臆する気持ちを持たせぬようにせよ。勇気のある父を持つ子は臆する心を持たぬ。
父は常々、この道を説き諭すことが大事である。
・手にする道具は得意とする業物でよい。飛び道具を使っても、相手が死ねば死だ。鉄砲で撃っても、小太刀で斬っても、敵を討ったことには変わりはない。
・上策は敵も察知す。われ下策をとり、死地に入って敵の後巻を断たん。
詳しくはこちら→★上杉謙信の生涯★
(青森県、山形県、岩手県を守っていた武将)
官僚地位4位/28位
豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武将。
・大事の義は、人に談合せず、一心に究めたるがよし。
・時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ。
・茶器を割ったのではない。 自分の器量の小ささを割ったのだ。
・若者は勇猛に頼り、壮年は相手の強弱を測って戦う。
くわしくはこちら→★伊達政宗の生涯★
(愛知県を守っていた武将)
官僚地位5位/28位
織田信長、信忠、豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、秀忠に仕えていた。
・齢八十にして、親父の云うことようやく心得たり。
細川忠興のお父さんのお話🐨↓
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(福岡県を守っていた武将)
官僚地位5位/28位
織田信長、豊臣秀吉、秀吉、徳川家康、秀忠に仕えていた。
・刀や脇差などの目利きを心掛けるように、人の目利きも常に心掛け、普段から人を観察してよく学べば、人の見極めで外れることもなくなる。
(高知県を守っていた武将)
官僚地位5位/28位
細川晴元、一条兼定、豊臣秀吉、秀頼に仕えていた。
・一芸に熟達せよ、多芸を欲張るものは巧みならず。
詳しくはこちら→★長宗我部元親の生涯★
(福岡県西部を守っていた武将)
官僚地位5位/28位
織田信長、豊臣秀吉に仕えていた。
・最期の勝ちを得るにはどうしたらいいかを考えよ。
・その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い。
・上司の弱点を指摘するな。
・おまえは時々、部下を夏の火鉢やひでりの雨傘にしている。改めよ。
(群馬県白井、滋賀県彦根市を守っていた武将)
官僚地位5位/28位
徳川秀忠、家光、家綱に仕えていた。※父・井伊直政は徳川四天王の一人。
・先駆けの心がけとは、槍なくば刀、刀なくば無刀無具足でも、とにかく誰よりも早く取りつこうとすることだ。
・義に背けば勝っても勝ちではなく、義を貫けば負けても負けではない。
・戦争はこちらが風邪をひいている時にもはじまる。これしきの寒さでくたばるような当主なら、もっと頑丈な者に当主をかわってもらったほうが徳川のためだ。
(鹿児島県西部を守っていた武将)
官僚地位5位/28位
足利義昭、豊臣秀吉、秀頼、徳川家康に仕えていた。
・良いことの五つは真似しやすく、悪いことの一つはなかなかやめられない。
・肝要のところに気を配れ。どうでもよいところに気をつけるものではない。
小板葺きにして立派になっても、百姓が疲れきっているようでは、使者は国主の政治が良くないことを見抜くだろう。
使者になるほどの者は、様々なことに気付く者だ。途中、当国の地を通って風俗、生活を見て、富み栄えているか、城門が粗末であろうと何の問題もない。
むしろ、城門は立派なのに民衆が疲労している方が問題だ。
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(熊本県一部除く、大分県の一部を守っていた武将)
官僚地位5位/28位
豊臣秀吉、秀頼に仕えていた。
・上一人の気持ちは、下万人に通ずる。
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(京都府南部、大阪府東部・北部・南西部、兵庫県南東部を守っていた武将)
官僚地位8位/28位
三好長慶、足利義継、織田信長に仕えていた。
・日ノ本一の正直者ゆえ、義理や人情という嘘はつきませぬ。裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい。
・世間の人は嘘を云いくるめて、嘘ばかりの世の中に暮らしている。故、たまたま真実ばかり申す者が現れると、それが嘘だと思ってしまう。
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(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、群馬県の総大将・武将)
官僚地位11位/28位
高祖父時代から官僚一家。
・小事をおろそかにするな。
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(滋賀県、京都府中部、兵庫県北東部、大阪府北部を守っていた武将)
官僚地位12位/28位
斎藤道三、朝倉義景、足利義昭、織田信長に仕えていた。
・仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。
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(福井県を守っていた武将)
官僚地位12位/28位 刑部省
織田信長、豊臣秀吉に仕えていた。※父・大谷吉房は、六角氏に仕えた浅井長政の家臣。
・金のみで人は動くにあらず。
詳しくはこちら→★大谷吉継の生涯★
(長野県を守っていた武将)
官僚地位12位/28位
豊臣秀吉に仕えていた。
・部下ほど難しい存在はない。
・合戦が近くなったら、兵を荒っぽく扱え。兵はその怒りを戦いにつなげて、激しく戦うからである。
・関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候。
・何事につけてもつねに堪忍の二字を忘れてはならぬ。
・家中の郎従に対して、慈悲の心が肝要である。家来の者が病気で苦しんでいる時は、たとえ手間がかかっても、心をこめて指図を加えてやりなさい。
・臣下の身を、自分がノドの渇きのように思うことだ。
詳しくはこちら→★真田幸村の生涯★
(千葉県、三重県を守っていた武将)
官僚地位12位/28位
徳川家康に仕えていた。※徳川四天王の一人。
・思慮のある者も、思慮のない者も功名を立てる。思慮のある者は兵を指揮して大きな功名を立てる。だが、思慮のない者は槍一本の功名であって、大きなことはできぬ。
詳しくはこちら→★本多忠勝の生涯★
(福岡県久留米市、太宰府市、滋賀県を守っていた武将)
官僚地位12位/28位
豊臣秀吉、秀頼に仕えていた。
・大義を思うものは、たとえ首をはねられる瞬間までも命を大切にして、なにとぞ本意を達せんと思う。
詳しくはこちらを🐨↓
石田三成の人間性が分かる厳選エピソード集★コミュ力0で不器用すぎて笑っちゃう!
(岐阜県の武将)
長井長弘、土岐頼武、土岐頼純、土岐頼芸に仕えていた。
・山城が子供、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候。
詳しくはこちら→★斎藤道三の生涯★
(山梨県の武将)
武田信玄、勝頼に仕えていた。
・武士の心がけとしては、その場に臨んで始めるようでは駄目だ。
詳しくはこちら→★山県正影の生涯★
(奈良県の武将)
畠山高政、筒井順政、順慶、定次、豊臣秀吉、秀保、石田三成に仕えていた。
・ただ城下の繁栄に驕って、下々の憂苦を思わず、武具にのみ力を入れて城郭を構築しても、徳と礼儀がなければ甚だ危うい
詳しくはこちら→★島左近の生涯★
(岐阜県の武将)
斎藤龍興、浅井長政、織田信長、豊臣秀吉に仕えていた。※父は岐阜県大野町の城主
・合戦談を聞く場合、たいていな者が大事なことは問わず、枝葉のことばかり聞きたがる。
誰が手柄を立てたとか、誰を討ち取ったとか、そんなことばかりを聞きたがる。
一人武者の手柄話を聞いたとて、何の役に立とう。部隊の駆け引き、戦の変化などを主眼にして聞いてこそ合戦談も役に立つのだ。
・要害がいかように堅固であっても、人の心が一つでなければものの用をなさない。
・分に過ぎたる価をもって馬を買うべからず。
詳しくはこちら→★竹中半兵衛の生涯★
(山形県の武将)
前田利家の甥、上杉景勝に仕えていた。※父・滝川一益は織田信長の重臣
・たとえ万戸候たりとも、心にまかせぬ事あれば匹夫に同じ、出奔せん。
・七年の病なければ三年の藻草も用いず雲無心にしてくぎを出るもまたをかし、詩歌に心無ければ月下も苦にならず、寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起きる。
・九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八幡地獄におつべき罪もなし。
(静岡県の臨済宗僧侶・武将)
今川義元に仕えていた。
・おのれの才がたかが知れたものと、観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。
詳しくはこちら→★太原雪斎の生涯★
名言を読んでいて思ったのは「とてもピュアな言葉」ってこと✨
共通しているのは、マイナスに捉えることができなかった点です。
様々な経験や知恵、情報、想像力を駆使し、戦や政治、商いを通して「人」と交流して、感じた事、政治や戦の勝敗、商いの成果を通して、「事の本質」をキチンと考えて、言葉で部下達に伝え、人の心を動かそうとしていたのだと思います。
歴史上の人物たちが残した言葉を通して、もっと歴史に関心を持ったり、ロマンを感じたりするのも面白さの一つです🎵
伝える方法、伝え方、そして表現や実行する方法。
これらをとてもピュアに表現しながら実行していたのが、「戦国時代」なのかなーと思って、ますますこの時代の歴史が好きになりました🐨✨
🏯ほかにも人生の教訓になるなーって思う武将がたくさんいます🌟ちょっとピックアップしたので読んでいただけたら幸いです★↓
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