こんにちは★
戦国時代好きなよよちち🐨です★
ちなみに戦国時代以外の歴史は疎いです。。。
日本史大嫌いでした。。。
でも、戦国時代はハマっちゃったんですよねーー💛
戦国時代には、「力」で勝負する人もいれば、「頭脳」で勝負する人もいて、面白いんですよね~
今回紹介する人物「竹中半兵衛」は、刀を持って戦う武闘派ではなく、頭脳で生きた武士です。
女の子の王に華奢な体型なのに、あの恐ろしい時代に、「頭脳」を使った戦略で、数人の兵で城を乗っ取ったりしちゃうんですねー✨
ということで、今回は、大人気の天才軍師 竹中半兵衛 のお話★
目 次
竹中半兵衛の生涯をサクッと
■生まれ
竹中半兵衛は、竹中重元の子として美濃で生まれました。
父親の重元は土岐氏や斎藤氏に仕えていて、お城も持っていたので、いいとこのお坊ちゃまですね。
小さいころから勉強が好きで、時間があれば兵法の本を読んでいました。
見た目は華奢で女の子のようでした。
■初陣
半兵衛が13歳の時に、美濃を治めていた斎藤家での親子喧嘩が勃発!
斎藤道三(父)VS斎藤義龍(息子)長良川の戦い
竹中家は、父親の道三側につきました。
この時、父親の重元が不在だったので、半兵衛が大将として籠城戦で見事勝利を収めました。
ですが、この戦の勝敗は、義龍の勝ち。
竹中家は、居場所をなくしてしまいます。。。
■斎藤家に再度仕える
田舎にこもっていた半兵衛ですが、再度斎藤家に仕えることになりました。
その時は、義龍が美濃を治めていました。
道三は義龍の事を無能だと言っていましたが、そんなこともなかったようです。
内政も戦もうまくこなしていました。
しかし、まもなく、義龍が急死してしまうのです。
今度は、息子の龍興が美濃を治めることになりますが、この龍興がダメ息子。。。
自分のお気に入りだけで政治を行い、お酒に溺れるようになりました。
しかし、半兵衛の軍略のおかげで、信長の侵略を抑えることができました。
でも、なぜか龍興は、半兵衛を大事に扱わないのです。
女の子のように華奢でおとなしい半兵衛は他の家臣からからかわれたり、いじめにあうようになってしまうのです。。。
■半兵衛は怒ると超怖い
小さないじめに関しては半兵衛はだんまりを決め込みます。
「・・・・。」相手にしません。。。
しかし、半兵衛を完全に怒らせる事件が起きます。
半兵衛が稲葉山城へ登城した時の事です。
上から水が落ちてきました。
??なんだ??と思って上を見ると龍興の家臣達がおしっこをかけてきていたのです!!
半兵衛、カッチーーーーン!!!!
しかし、ここではいったんだんまり「・・・・。」
半兵衛は復讐を企むのです!!
■龍興追い出して城主になっちゃう!
半兵衛には、稲葉山城に働きに行っている弟がいました。
その弟にこっそり手紙を書きます。。。
「病気になって」
弟はさっそく病気のフリを始めます。
半兵衛は数人で籠を持って弟のお見舞いに向かいます。
城の警備員に、自ら籠の中身を見せて「怪しい物はなーーんにもないですよ!」とアピール。
何回かそれを続けます。
そして、復讐決行日!!
いつも通り籠を持って弟のお見舞いに向かいます。
お城の警備員はいつも半兵衛が籠の中身を正直に見せていたので、今回は特に中身を確認しないでお城に通しました。
が、この日だけは籠の中には鎧と武器が入っていたんですねーーー★
そして、半兵衛は、信長でも落とせなかったこの「稲葉山城」をたった16人であっという間に落とすことに成功するのです。
城主の龍興を追い出して半兵衛が占拠!
もちろんおしっこかけた人は殺しました★
※詳しくは後程※
おとなしい人を怒らせるとマジ怖いですな🐨💦
■あっさり城主を辞めちゃう
こうして、龍興を追い出した半兵衛は、1年ほど稲葉山城に居座っていました。
ここぞとばかりに、織田信長は半兵衛に
「稲葉山城頂戴★そしたら美濃の半分はあげちゃうよ!すごい大盤振る舞いでしょ★」ともちかけますが、半兵衛は「いらない。。。」となんと拒否!
そして、稲葉山城を、龍興に返却するのです。
龍興たちに「なめんなよ!」と復讐しただけだったのかなと。
お金とか地位とかに、そんなに興味がなかったと思います。
■浅井家にちょっとだけ就職
お城を返却した後は、浅井長政のもとに就職しています。
このことが後に役に立つのですねーーー
不思議なものです。。。
🐨浅井長政のお話↓すごいいい武将です♥
歴女に人気の武将「浅井長政」の生涯は「義」を重んじた筋が通った人生だった
■信長に誘われる
織田信長は、半兵衛の能力の高さを知って、織田家の家臣に欲しくなります。
そして、部下である秀吉に、「半兵衛をヘッドハンティングしてきて」と命じます。
秀吉は、「三顧の礼」で、半兵衛を説得して織田家に迎えることに成功しました。
※「三顧の礼」とは、中国の三国志で、まだ青年だった諸葛孔明のもとに国のボスである劉備がわざわざ家まで3回訪ねてお願いしたこと※
■織田家の家臣となり秀吉と一緒に働く
信長がイケイケの時に、「信長包囲網」がしかれます。
その中の1つでもある「姉川の戦い」が起こります。
これは、浅井家VS織田家の戦い
浅井家に仕えていた時期があったので、浅井家の家臣とは顔見知り。
うまいこと浅井家の家臣達に取り入って信長側につくように説得して味方につけることに成功。
こういう調略で、勝利に導くのが上手な半兵衛🐨!
■黒田官兵衛との竹中半兵衛
黒田官兵衛と、竹中半兵衛は比べられることも多いですよね。
よよちち🐨は、歴史が全く分からない時、二人は同一人物だと思ってましたーーー(恥)💦
二人は「天才軍師の両兵衛」と呼ばれていました。
この二人の共通点は、二人とも織田家(秀吉部隊)の家臣であったことと、信長も秀吉も、能力がありすぎて、力を持ちすぎるのを恐れました。
すごい功績を残しても、たくさんの領地や兵を与えられることはなかったのです。
この二人にまつわるエピソードがあります。
本能寺の変の直前のこと。
秀吉は、信長の命令で中国地方に攻め入っていました。
中国攻めはあまりスムーズにいかない状態でした。
有岡城の城主である荒木村重は、官兵衛の知り合いだったので、交渉させるために村重のもとに送り込みましたが、なんと、官兵衛がとらわれてしまいました。
これを、信長は、官兵衛の裏切りと勘違いして、官兵衛の息子を殺そうとします。
竹中半兵衛は、裏切りではない事が分かっていたので、官兵衛のこどもではない違う人の首を信長に送り、官兵衛の子供をこっそり逃がしました。
1年後に官兵衛が村重のお城から解放されたとき、半兵衛にとても感謝したそうです。
ただ・・・
半兵衛はもうなくなっていました。
この中国攻めの最中に病死してしまうのです。。。
■半兵衛の最期のお仕事
半兵衛の最期の戦は、信長の天下統一のための「中国攻め」でした。
病気で弱っていた半兵衛に秀吉は休むように言いますが、半兵衛は「陣中で死ぬのが武士の本望」と言って戦いました。
36歳という若さでした。
竹中半兵衛のすごさが分かるエピソード
■たった16人で難攻不落と言われた「稲葉山城」を落とした
稲葉山城は、信長が4年かけても落とせなかった難攻不落のお城です。
そのお城を1日で、16人だけで、乗っ取ることに成功したのが竹中半兵衛!!
この噂は美濃だけでなく、尾張の織田信長の耳にまで届きました。
半兵衛の生涯の部分でも少し触れていますが、おしっこをかけられた半兵衛はブチギレ!
(※龍興がばか殿だったから追い出した、という説もありますが)
稲葉山城の乗っ取り計画を始めます。
弟に密書を送り、病気のふりをさせ、お見舞いに行くという名目でお城の中に入りこみます。
お城の中には、龍興の部下たちがうようよたくさんいますよね。
半兵衛サイドはたった16人です。
どうやってこの超――――――アウェイの状況の中、16人で龍興を追い出すことができたのか??
籠の中にある鎧を身に着けて、武器を持った半兵衛チームは、大きな声で騒ぎ立てるのです。
お城の中にいた人達は、戦闘服も着ていないし、油断している状態です。
半兵衛たちが大きな声で「敵が襲ってきたぞー!!」と騒ぎ立てることで、お城の人達は、敵が軍を率いて攻撃してきたと思い込みました。
そして、我先にと逃げていきます。
(龍興の家臣たちの薄情ぶりも分かりますよね🐨そのくらい統率もきていなくて、信頼もうすーーいバカ殿だったことがわかります。)
そして城主である龍興も家臣に連れられて城外に逃げ出しました。
こうして、城主(龍興)をあっという間に追い出すことに成功したのです!
賢いですよねー!!🐨
「武力」ではなく「智略」でたった16人で1日で、城主を追い出しちゃうんですからーーー!!
ホントすごいわーー
■兵糧攻めを考えて受け継がれていく
時間はかかるけれど、味方の兵力を保ったまま血を流さずに戦うことができるのが「兵糧攻め」
敵にしてみたら、地獄ですが。。。
飢え死にさせるということですから、けっこう恐ろしい残虐な戦略でもあるのですが、自分たちの犠牲が最小限に抑えられて、痛手がないので、兵力を保っていられます。
戦国時代では超大事な事です。
たとえ、戦に勝ったとしても、兵がたくさん死んでしまったり、お金をいっぱい使ってしまっていたら、違う所から攻められたらひとたまりもないし(戦国時代はいつ何が起きてもおかしくないし、弱っている所を攻め込もうとするわけですからね)、軍事力を回復させるのに、時間もお金もかかるので、兵力温存が可能な「兵糧攻め」はとーーっても画期的な戦略なのです。
半兵衛最後の戦で行ったこの「兵糧攻め」は、その後、秀吉の戦略に用いられて引き継がれていきました。
■最期まで武士でいることにこだわった
半兵衛は、36才という若さで病死してしまいます。
上司である秀吉は、半兵衛の体を気遣って
「京都で、養生しなさい」と言いますが、半兵衛は
「陣中で死ぬことが武士の本望なのだ!」と言って戦場に復帰したそうです。
おわりに
戦国時代で有名な天才軍師と言えば「黒田官兵衛」「竹中半兵衛」「山本勘助」あたりかなー
黒田官兵衛も竹中半兵衛も、秀吉や信長に能力を恐れられてしまって、力を押さえつけられてしまいます。。。
下克上だらけの時代ですから、仕方ないのかもしれないけれど。。。
秀吉の天下統一までの道のりの、前半→竹中半兵衛、後半→黒田官兵衛が支えました。
おとなしくて、あまり感情を表に出さない人って、怒らせると怖いよね。。。
それは今も昔も変わらないね(笑)
今年の大河ドラマ「麒麟がくる」に半兵衛は登場するかなー☆
🐨ほかにも戦国武将の生涯等を簡単な言葉で書いています↓面白いですよー✨歴女への第一歩にしてもらえたら嬉しいなー💛