こんにちは★
戦国時代が好きなよよちち🐨です。
今回紹介する「立花宗茂」は、たくさんいるかっこいい武将の中でも、よよちち🐨のなかでは「本当のかっこいい武将」だと思います。
宗茂は、ずるいことをしたり、損得を考えないと生き抜いていけないようなこの時代に、「義」で生き抜いた武将です。
ということで、今回は 立花宗茂の男でも女でも惚れちゃうエピソード のお話★
目 次
※名前は全部「宗茂」で統一しています※
宗茂の父親は、昔、島津家によって殺されています。
(島津家が九州を治めようとイケイケだった時のころの話です。)
それからだいぶ時間が流れて。。。関ケ原の戦いの時の事。
島津義弘率いる島津軍は、壮絶な戦いをして命からがら逃げてきました。(島津の退き口)
島津軍はもう死者がたくさん出て、50人ほどしかいなくなってて、ボロボロ。。。
そんな中で、島津義弘は、立花宗茂に会ったのです。
立花軍の家臣は「この状態ならば、あの島津でも倒せるんじゃないか」とささやき始めます。
「殿!今、父上の仇を取るチャンスです!」と家臣は言いました。
しかし、宗茂は、
「勇士のする所にあらず」
と言って、島津軍を助けるのです!
宗茂は、弱いものいじめや、弱っている所をつつくようなズルいことは絶対にしない人でした。
父親のことはもう昔のことだし、今は西軍として一緒に戦った仲間だから助けたい!と。
しかも、島津軍は、きっと警戒しているに違いない、と、使者を送って「大丈夫だよ!一緒に九州帰ろう」と伝えたのです。気遣いまでできちゃう人なのね。
宗茂は、援護するようにして、島津軍を船に乗せて、無事に送り届けたのでした。
島津義弘もほんっとかっこいい人なんです!
島津家エピソード集もぜひ読んでみて下さい↓✨
島津義弘の生き様がかっこよすぎる!島津四兄弟や得意な戦法も解説★
宗茂は、関ケ原の戦いの後、家康に領地を全部没収されて、家来もみんな無職になってしまいました。
そんな時、手を差し伸べたのが、加藤清正です。
(清正は、宗茂と年齢も近く、昔から宗茂のことは気にかけていた)
清正は、関ケ原の戦いの後は、徳川家の家臣となっていました。
勝利した東軍についていたので、ご褒美をたくさんもらいました。
困っている宗茂に、「私の国にきたらいいよ」と言います。
宗茂は、清正に甘えることにして、清正の国へ向かうことにしました。
九州を出る準備をしていると「一緒に行かせて下さい」とたくさんの家臣たちが願い出ました。
でも宗茂は家臣を養うお金もないし、自分だって居候の身だから、困ってしまった。
それを知った清正は、
「遠慮はいらないよ。家臣たちも全員連れてきていいよ。」と。
宗茂の家臣は数百人ほどいましたが、清正は全員の面倒をみてあげることにしました。
お家を建ててあげて、家来たち用に、と1万石も与えてあげた。
清正は、徳川家の家臣です。
領地を没収した敵方の大名とその家臣の面倒を見るというのは勇気がいったことだったと思います。
それでも、清正は、宗茂を助けたかったのです。
🐨清正は、朝鮮出兵の時に宗茂に助けてもらったことがあるのです。
2人は助け、助けられ、という関係なのですね。。
清正のところへ行くと決まった宗茂が、九州を出る日、清正は国境(県境というのかな)まで迎えに来ました。
ここで清正は、驚きの光景を目にします!
なんとたくさんの領民たちが国境で待っていた。
そして、土の上に座り、手をついて宗茂に泣きながらこう言いました。
「行かないでください。殿様がその気なら、われわれも竹槍を持って立ちあがります」
もう映画の1シーンですよね。これは。。。
家臣だけではなく、領民にまでこんなに愛されてるんだ!と清正の心の中に深く刻まれることになりました。
そして、清正も、もっともっと宗茂のことが好きになっちゃうのでした。
しかし、清正が、優しくすればするほど、宗茂は心苦しくなってきてしまいました。
お世話になりっぱなしの上、こんなに良くしてもらって申し訳ない。。。と。
いろいろ考えた宗茂は「ここを出る」と決めます。
「京へいきます。そこで、自分の生き方も決まってくるかもしれない」
清正は、宗茂の気持ちがよくわかったので、気持ちよく送り出すことにしました。
宗茂は、数百人いる家来の中の20人ほどを連れていくことにしました。
清正は、なんと「残った家来たちは、引き続きこのまま面倒みるから、安心してね」と言いました。
宗茂は、本当に感謝しました。
そして、清正は、多額のお金を渡してあげて送り出しました。
🐨もう。。。感動です。。。(´;ω;`)ウゥゥ
これで、また宗茂は、無職になり、領地も何も持っていないただの浪人になっていくのでした。
さて、少人数の家臣を連れて旅立ちましたが、清正からもらったお金も使い切ってしまって、貧乏生活真っただ中の時。。。
ごはんをほしいい(乾燥米)にするために、家来たちが、外の藁の上に置いておきました。
(貧乏生活なので、節約したりと、家臣は頑張ってたのですね)
家来たちは外に出ていて、家にいるのは宗茂だけ。
宗茂は本を読んでいました。
しばらくすると雨が降り出してしまいました。
外に干しているごはんが濡れてしまう!のですが、宗茂は、殿様気質が抜けてないのか?読書に没頭していたのか?ごはんをしまうという考えがなかったのです。
雨の中、家に戻ってきた家来たちは、ずぶ濡れになったもう食べられないごはんを見て喜びあったのでした。
「さすがは、宗茂様!!雨が降ろうが、ほしいいのことなど些細な事を気にしない宗茂様!さすが!まだまだ武運は尽きてないぞ!!」
ほしいいやら、雨やら、そんなことを気にするような殿様だったら、家来なんてやめてやる!といったそうです。
この、先が見えない無職の貧乏生活の中で、宗茂は、本をたくさん読んで兵法を学んだり、体を鍛えたり武器の使い方を勉強したりしていました。
🐨これってけっこう、できないことだと思うんです。
宗茂は腐ることなく、勉強を熱心にして、戦に備えていたのでした。
宗茂が浪人になり、少ない家来と共に超貧乏生活を送っている時に、江戸に行きました。
その時、江戸は徳川家の2代目の「秀忠」が治めていました。
秀忠は、宗茂のまっすぐな生き方を噂で聞いていて気に入っていました。
そんな宗茂が、自分の国に来たので早速江戸城に呼び寄せました。
秀忠は、宗茂に奥州の1万石の大名にしてあげました。
宗茂は喜びました。
「貧乏生活脱出―――!金持ちだーーー!」というゲスい考え方を宗茂はしません。
「これで、少し家臣を養える!故郷から少し呼び戻せる!」と。
秀忠は、こう言った宗茂をどんどん気に入っていきました。
そして、本当に「武運は尽きていなかった!」
大阪の陣で、見事な活躍をして、宗茂が元々持っていた領地(九州の)柳川の相続人がいないというそのタイミングで宗茂をもとの故郷に帰してあげました。
しかも、没収前と同じ11万石を与えました。
(🐨宗茂の努力も、家来の努力も無駄ではなかった!!)
こうして、宗茂は、関ケ原の戦いの前と同じ領地とお給料をもらえることになりました。
見事に美しく返り咲いたのです!✨
🐨ちゃんとした生き方をしていれば、誰かが見ていてくれて、手を差し伸べてくれるんですね。
そして、宗茂を愛する家臣たちとまた一緒に暮らすことができました。
🐨(´;ω;`)ウゥゥ泣ける。。。
宗政は自分の領地を取り戻し、見事に返り咲くことができました。
養えるようになったので、家臣を呼び寄せるのですが、みんな宗茂のことが大好きだから、あっという間に屋敷の中がいっぱいになってしまって、窮屈になってきました。
そこで、ある家臣が提案します。
「もう少し広くしましょうか?」すると、宗茂は
「狭い屋敷でみんなで仲良く住もう!たくさん顔を合わせていろいろなお話がしたいの!」
と何ともかわいい事を言うんです!!
よよちち🐨胸キュンです(笑)そしてかんどーーーー(泣)
それを聞いた家臣たちは、みんな号泣したそうです。
もうなんて素敵な人達なんだーーーー!!可愛すぎるでしょーーー!
家臣たちに、ちゃんと恩返しもできて。。。
なんか、宗茂の生き方が間違っていなかったんだなーって感動しちゃいます。
ホント、かっこいいですよね。。。
この人を知ることで、人として勉強することがたくさんありました。
立花宗茂は戦上手としても有名です。
でも宗茂は、こう言いました。
「特別な戦術を使っているわけではない。
常に兵士に対してえこひいきせず、情けを与え、国法に触れた者はその法によって対処する。
そうすれば、戦になったときに皆が一命をなげうって力戦してくれる。
これこそが私(宗茂)の功となる。」
「戦の際に大将が采配をとって、ただ”進め”や”死ね”といっても、このような下知では従う者はいない。
普段から上の者は下の者を子のように情をかけ、下の者は上の者を親と思うように。
そうすれば人は下知がなくても動かせる者ものだ。」
宗茂のためなら死ねる!っていう家来がたーーーくさんいたんだろうな。
裏切ったり、すぐ逃げ出すような兵がたくさんいたところで、戦には勝てないもんね。
少数でも、命を懸けて戦える兵がいる軍の方が強いもんね。
九州の武将って、家臣との信頼関係をとても大事にします。
だから、九州の武将は強いって言われているのかも。
自分を支えてくれる人を大事にして、まっすぐに真面目に生きていれば、必ず報われるのだな、なんて思ってしまいました。
何ともピュアな気持ちになってしまいましたよ(笑)
でも、この人は、それをちゃんと証明した人物ですよね。
よよちち🐨は、宗茂の生涯を知ることで得した気分になりましたよ★
他にもかっこいい武将たちがいるので、ゆるっと読んでみてください↓✨